万葉集のかたわらにキーボード

記事は、原文に忠実な現代語訳や学問的な解釈ではありません。私なりにとらえた歌の意味や、歌から思い浮かぶことを書いています。

石川啄木『一握の砂』「煙」 より

見よげなる年賀の文(ふみ)を書く人と
おもひ過ぎにき
三年(みとせ)ばかりは

<私の想像を加えた歌の意味>
在学中はそれほど親しい友人ではなかった。
卒業してから、その友人から年賀状をもらった。
その年賀状は工夫されていて、見て楽しかった。
私の方からは、ついつい年賀状も出さずにいたが、その友人からは毎年届いていた。
でも、三年も経つと、その友人からの美しい年賀状も来なくなったしまった。

万葉集 巻三 235 天皇が雷岳にお出ましの時、柿本朝臣麻呂が作った歌

大君は 神にしいませば 天雲の 雷の上に 庵りせるかも
おおきみは かみしいませば あまくもの いかずちのうえに いおりせるかも

<私が考えた歌の意味>
天皇様は、雷岳でお泊りになられる。
天皇様は神でいらっしゃるので、天空の雷のさらにその上に庵を作られ、お泊りになることだ。

<私の想像を加えた歌の意味>
雷岳まで、お出ましになられた天皇陛下は、今宵は、ここでお泊りになる。
雷岳と聞けば、天を切り裂く雷を思い浮かべる。
その天の雷の上に、旅の仮寝をなさる庵をお作りになる。
天皇陛下は、神であられるので、雷岳、すなわち雷の上の庵でお休みになられるのだ。

<歌の感想>
 人麻呂の時代であっても、実際にこのように感じているのではないと思う。だが、単に儀礼的に褒めたたえている感じもしなければ、地名からの言葉遊びだけという感じもしない。それよりは、天皇の行為をいかに権威づけるかに工夫を凝らしている作者を感じる。

万葉集 巻二 234 或る本の歌に言う(233~234)

三笠山 野辺行く道 こきだくも 荒れにけるかも 久にあらなくに
みかさやま のべゆくみち こきだくも あれにけるかも ひさにあらなくに

<私の想像を加えた歌の意味>
亡き親王様の御所へと通じていた三笠山の野原の道を歩いています。
その道は、今は草が生い茂り荒れてしまっています。
親王様のいらっしゃった頃は、手入れもされ、人も多く通るきれいな道でした。
親王様が亡くなられて、まだそれほどの時も経ていないのに。
親王様ゆかりの人々も景色もすっかり寂しくなってしまいました。

<歌の感想>
 231と233、232と234をそれぞれ比較すると、私は、「或る本の歌」233、234の方をよいと感じる。これは、今までの諸家の評釈では意見の分かれるところのようだ。
 もしも、万葉集編纂の際に、一部が異なる歌が伝わっていて、そのどちらも甲乙つけがたく、両者を残したとしたらおもしろいことだと想像した。いずれにしても、ほんの一語変わっただけで、作全体の味わいが変わるのがよく分かる。その意味で、「或る本の歌」を万葉集に載せたことは、編者の卓見だと思う。

石川啄木『一握の砂』「煙」 より

人ごみの中をわけ来(く)る
我が友の
昔ながらの太き杖かな

<私の想像を加えた歌の意味>
駅前の雑踏をかき分けるようにしてやって来た。
私の姿を見つけると、友はうれしそうな顔をして、周りの人々の視線など気にしていない。
友は、人ごみの中で、一段と目立っているのに。
故郷で、学生時代の友はいつも太い杖を自慢げについて歩いていた。
その太い杖を、友は、そのまま都会に持ち込んできた。

<歌の感想>
 外見を気にしない田舎者然としたこの友を、作者は恥ずかしく思ってはいる。だが、都会風を装うような人よりは、素朴さを失わない友の心情を歓迎しているように感じる。

万葉集 巻二 233 或る本の歌に言う(233~234)

高円の 野辺の秋萩 な散りそね 君が形見に みつつ偲はむ
たかまとの のべのあきはぎ なちりそね きみがかたみに みつつしぬわん

<私の想像を加えた歌の意味>
高円の野辺に萩が咲く頃となった。
亡くなった親王は、この萩の花を好まれ、秋になるのを楽しみにされていた。
ちょうど今頃の時期、去年までは、親王とお仕えする者たちで、萩の花を見ながら宴会をしたものだ。
それももう叶わない。
せめて、もう少しの間、萩よ、散らないでくれ。
萩の花を見ながら、親王の思い出に浸っていたいから。

万葉集 巻二 232 霊亀元年(715)秋九月に、志貴親王が亡くなった時に作った歌一首と短歌(230~232)

三笠山 野辺行く道は こきだくも しげく荒れたるか 久にあらなくに
みかさやま のべいくみちは こきだくも しげくあれたるか ひさにあらなくに

<私が考えた歌の意味>
三笠の山に行く道は、こんなにも草が茂り、荒れてしまったのか。
亡くなった方の御所へと続く道だったのに、もう荒れてしまった。
親王が亡くなられて、まだそれほど時が経っていないのに。

<歌の感想>
 231、232共に、挽歌としての発想は、類型的と感じる。短歌として整っているが、亡き親王を思い起こす景色に特徴が感じられない。

万葉集 巻二 231 霊亀元年(715)秋九月に、志貴親王が亡くなった時に作った歌一首と短歌(230~232)

高円の 野辺の秋萩 いたづらに 咲きか散るらむ 見る人なしに
たかまとの のべのあきはぎ いたずらに さきかちるらん みるひとなしに

<私が考えた歌の意味>
秋になり、高円の野辺には萩が咲くだろう、そして散っていくであろう。
今までのように、萩の咲くのを楽しみし、見てくれた人はもういない。
萩を好きだった親王はいなくなり、萩だけが、虚しく咲き、散っていくのであろう。

石川啄木『一握の砂』「煙」 より

興(きょう)来(きた)れば
友涙垂れ手を揮(ふり)て
酔(ゑ)ひどれの如くなりて語りき


<私が考えた歌の意味>
興がのると、友は涙を流し、手を振り回して語る。
あいつは、酒も飲んでいないのに、まるで酔っ払いのようになって熱弁をふるい続けていた。

<歌の感想>
 友の行動の表現と、比喩が重なり過ぎていて、おもしろみの少ない作と感じる。

石川啄木『一握の砂』「煙」 より

先んじて恋のあまさと
かなしさ知りし我なり
先んじて老ゆ

<私が考えた歌の意味>
同じ年齢の若者より早く恋を経験した。
恋のあまさとかなしさを人より早く知った私だった。
そんな早熟な私だから、老成するのも早いのだ。

<歌の感想>
 理屈が前面に出ていて、感心できない。

万葉集 巻二 230 霊亀元年(715)秋九月に、志貴親王が亡くなった時に作った歌一首と短歌(230~232)

梓弓 手に取り持ちて ますらをの さつ矢手挟み
あずさゆみ てにとりもちて ますらおの さつやたばさみ

たち向かふ 高円山に 春野焼く 野火と見るまで
たちむかう たかまどやまに はるのやく のびとみるまで

燃ゆる火を 何かと問へば 玉鉾の 道来る人の
もゆるひを なにかととえば たまほこの みちくるひとの

泣く涙 こさめに降れば 白たへの 衣ひづちて
なくなみだ こさめにふれば しろたえの ころもひずちて

立ち留まり 我に語らく なにしかも もとなとぶらふ
たちどまり われにかたらく なにしかも もとなとぶらう

聞けば 音のみし泣かゆ 語れば 心そ痛き
きけば ねのみしなかゆ かたれば こころそいたき

天皇の 神の皇子の 出でましの 手火の光そ
すめろきの かみのみこの いでましの たひのひかりそ

ここだ照りたる
ここだてりたる

<私の想像を加えた歌の意味>
高円山(たかまとやま)に、春野を焼く野火のような炎が見える。
あの炎は何ですか、と歩いて来た人に尋ねると、その人は衣を濡らすほど涙を流して答える。
どうしてあの炎のことを聞くのですか、聞かれただけで泣いてしまいますし、炎の訳をお話すれば、心が痛みます。
あれは、皇子様の葬列のたいまつの光が、たくさん照っているのです。

与謝野晶子 『みだれ髪』 臙脂紫 より

御袖(みそで)くくりかへりますかの薄闇(うすやみ)の欄干(おばしま)夏の加茂川の神

<私の想像を加えた歌の意味>
今宵一緒に過ごしたいのに、あなたは、帰ってしまいます。
そでをまくった姿で、薄闇の加茂川の橋を渡って行ってしまいます。
夏の加茂川の欄干に夕闇が迫ります。
帰ってしまうあなたの姿を眼で追っています。

万葉集 巻二 229 和銅四年(七一一)、河辺宮人が姫島の松原で若い娘の屍を見て、悲しみて作った歌二首(228・229)

難波潟 潮干なありそ ね沈みにし 妹が姿を 見まく苦しも
なにわがた しおひなありそ ねしずみし いもがすがたを みまくくるしも

<私の想像を加えた歌の意味>
海底に沈んでしまったおとめのなきがらを見るのは辛い。
難波潟の潮が干上がれば、おとめのなきがらを目にしなければならないだろう。
潮よ、引かないで、おとめのなきがらをそのままにしておいてくれ。

<歌の感想>
 作者の気持ちが率直に表れている。それだけに、作者と「妹」の関係が密接ではないことも感じられる。

石川啄木『一握の砂』「煙」 より

わがこころ
けふもひそかに泣かむとす
友みな己(おの)が道をあゆめり

<私の想像を加えた歌の意味>
かなしさに浸り、時を過ごす。
ひそかに、独りで、自分の心を見つめる。
私の心は、今日も泣こうとしている。
友はみんなそれぞれの道を歩んで行った。
私だけが、心の底のかなしみを見つめている。

<歌の感想>
 啄木の「泣かむとす」は、自己の文学創作につながる表現だと感じる。学校での学業に打ち込めなくなり、文学へと歩み出そうとしている時期を描いていると感じる。そして、この時期は、友人皆と自分を比べ、コンプレックスと呼べそうな感情を持っていると思う。

石川啄木『一握の砂』「煙」 より

眼を病みて黒き眼鏡をかけし時
その頃よ
一人泣くをおぼえし

<私が考えた歌の意味>
眼病を患って、日を遮る黒いレンズの眼鏡をかけた。
ちょうどその頃からだ。
孤独感に涙する経験をするようになったのは。

<私の想像を加えた歌の意味>
目を病んで、黒いレンズの眼鏡をかけなければならなかった。
黒いレンズの眼鏡をかけると、世の中のものが全て、くすんだ色に見えた。
ちょうどその頃からだ。
私が独りで泣くようになったのは。
悲しい出来事があったからではない。
理由のないかなしみが押し寄せて来て、泣くより他になくなるのだ。
その頃から、独りでかなしみに浸ることが私の習いとなった。

石川啄木『一握の砂』「煙」 より

茨島(ばらじま)の松のなみ木の街道を
我とゆきし少女(をとめ)
やすく暮らせり

<私の想像を加えた歌の意味>
茨島(ばらじま)の松のなみ木の街道をあの少女と歩いた。
どちらが誘ったと言うのでなく、互いに惹かれ合ったのだった。
人目を気にせずに、私と二人連れで歩くような少女だった。
だが、いつの間にか疎遠になっていった。
今は、家庭に入り、平穏に暮らしていると聞く。
私とともに歩いた少女は思い出の中だけにいる。

<歌の感想>
 若い頃の恋心の思い出と言えよう。それなのに、感傷的な気分は詠まれていない。思い出に浸ることなく、現在と過去を行き来している作者を感じる。

石川啄木『一握の砂』「煙」 より

田舎(ゐなか)めく旅の姿を
三日ばかり都に晒(さら)し
かへる友かな 

<私の想像を加えた歌の意味>
いかにも田舎から出て来たという様子で、友は、三日ばかり都で過ごしていった。
出て来た友は、都を珍しがって私の案内を喜んでいた。
私の方は、友のいかにも田舎者という振る舞いが恥ずかしかった。
友が帰ってしまってから、田舎者であることを恥じない友の心を羨ましくさえ思った。

石川啄木『一握の砂』「煙」 より

そのかみの学校一のなまけ者
今は真面目に
はたらきて居り

<私の想像を加えた歌の意味>
その当時は、学校一の怠け者だった奴がいた。
今は、真面目に働いている。
学生時代のままの友もいれば、あいつのようにすっかりと変わってしまう友もいる。

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