万葉集のかたわらにキーボード

記事は、原文に忠実な現代語訳や学問的な解釈ではありません。私なりにとらえた歌の意味や、歌から思い浮かぶことを書いています。

万葉集 巻二 224 柿本朝臣人麻呂が死んだ時に、妻の依羅娘子(よさみのをとめ)が作った歌二首(224~225)今日今日と 我が待つ君は 石川の 峡に交じりて ありといはずもきょうきょうと あがまつきみは いしかわの かいにまじりて ありといわずも<私が考えた歌の…
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石川啄木『一握の砂』「煙」 よりおどけたる手つき可笑(をかし)と我のみはいつも笑ひき博学の師を<私が考えた歌の意味>なんとなくこっけいな手つきで、授業をする先生がいた。他の生徒は笑わなかったが、私だけは、その先生の手つきを笑っていた。その先生が博学だとい
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石川啄木『一握の砂』「煙」 より蘇峰(そほう)の書われに薦(すす)めし友はやく校をしりぞきぬ貧しさのため<私が考えた歌の意味>徳富蘇峰の著作を、私に読むように薦めてくれた友人がいた。その友人は、入学してほどなく学校を止めてしまった。家が貧しく、学費が続か
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石川啄木『一握の砂』「煙」 よりかぎりなき知識の慾に燃ゆる眼を姉は傷(いた)みき人恋ふるかと<私が考えた歌の意味>際限のない知識欲にかられて、燃えるように眼を輝かせていた。その私の眼差しを、姉はひどく心配していた。私が誰かに激しく恋しているのではないかと
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石川啄木『一握の砂』「煙」 より解剖せし蚯蚓(みみず)のいのちかなしかりかの校庭の木柵の下<私が考えた歌の意味>授業でミミズを解剖した。解剖されたミミズは、校庭の木の柵の下に埋められた。学習のためだとは分かっているが、ミミズにだっていのちはあるのだ。<歌
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万葉集 巻二 223 柿本朝臣人麻呂が石見国にあって死ぬ時に、自ら悲しんで作った歌一首鴨山の 岩根しまける 我をかも 知らにと妹が 待ちつつあるらむかもやまの いわねしまける われをかも しらにといもが まちつつあらん<私が考えた歌の意味>鴨山の山中で動けな
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万葉集 巻二 222 讃岐の挟岑(さみね)の島で、岩の間の死人を見て、柿本朝臣人麻呂が作った歌一首と短歌(220~222)沖つ波 来寄する荒磯を しきたへの 枕とまきて 寝せる君かもおきつなみ きよするありそを しきたえの まくらとまきて なせるきみかも<私の想像
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石川啄木『一握の砂』「煙」 より愁(うれ)へある少年の眼にうらやみき小鳥の飛ぶを飛びて歌うを<私が考えた歌の意味>愁いや哀しみの心を持つ少年にはうらやましかった。小鳥が自由に空を飛びまわるのが。その小鳥が飛びながら楽し気に歌うのが。<歌の感想> 啄木が「
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石川啄木『一握の砂』「煙」 より石ひとつ坂をくだるがごとくにも我けふの日に到り着きたる<私が考えた歌の意味>ひとつの石が坂をくだるように、私は、今日の日にたどり着いた。<歌の感想> あっという間に時間が過ぎることだけを表現しているのではあるまい。何もかも
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万葉集 巻二 221 讃岐の挟岑(さみね)の島で、岩の間の死人を見て、柿本朝臣人麻呂が作った歌一首と短歌(220~222)妻もあらば 摘みて食げまし 沙弥の山 野の上のうはぎ 過ぎにけらずやつまもあらば つみてたげまし さみのやまの ののうえのうわぎ すぎにけらず
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万葉集 巻二 220 讃岐の挟岑(さみね)の島で、岩の間の死人を見て、柿本朝臣人麻呂が作った歌一首と短歌(220~222)玉藻よし 讃岐の国は 国からか 見れども飽かぬたまもよし さぬきのくには くにからか みれどもあかぬ神からか ここだ貴き 天地 日月とともにか
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石川啄木『一握の砂』「煙」 よりそのかみの愛読の書よ大方は今は流行(はや)らずなりにけるかな<私が考えた歌の意味>過ぎ去ったあの頃に愛読した何冊もの本。あの頃は、流行し、もてはやされた書物だった。それらの本の大半は、今はもう流行遅れで、読み継がれることは
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石川啄木『一握の砂』「煙」 より西風に内丸大路(うちまるおほぢ)のさくらの葉かさこそ散るを踏みて遊びき<私が考えた歌の意味>西風に内丸大路のさくらの葉が散る。道路一面に散り敷いたさくらの葉は、歩むに連れて音を立てる。さくらの葉はかさこそと散り、かさこぞと
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万葉集 巻二 219 吉備津采女が死んだ時に、柿本朝臣人麻呂が作った歌一首と短歌 (217~219)※以前の記事を改めた。 そら数ふ 大津の児が 逢ひし日に 凡に見しくは 今ぞ悔しきそらかぞう おおつのこらが あいしひに おおにみしくは いまぞくやしき<私の想像を
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万葉集 巻二 218 吉備津采女が死んだ時に、柿本朝臣人麻呂が作った歌一首と短歌 (217~219)※以前の記事を改めた。楽浪の 志賀津の児らが 罷り道の 川瀨の道を 見ればさぶしもささなみの しがつのこらが まかりじの かわせのみちを みればさぶしも<私の想像を
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万葉集 巻二 217 吉備津采女が死んだ時に、柿本朝臣人麻呂が作った歌一首と短歌 (217~219)※以前の記事を改めた。秋山の したへる妹 なよ竹の とをよる児らはあきやまの したえるいも なよたけの とおよるこらはいかさまに 思ひ居れか 拷縄の 長き命をいかさ
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万葉集 巻二 216 或る本の歌に言う (213~216)※以前の記事を改めた。家に来て 我が屋を見れば 玉床の 外に向きけり 妹が木枕いえにきて わがやをみれば たまどこの よそにむきけり いもがこまくら<私が考えた歌の意味>なきがらを葬って家に戻った。家の中を
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