万葉集のかたわらにキーボード

記事は、原文に忠実な現代語訳や学問的な解釈ではありません。 私なりにとらえた歌の意味や、歌から思い浮かぶことを書いています。

石川啄木『一握の砂』「煙」 より

石をもて追はるるごとく
ふるさとを出しかなしみ
消ゆる時なし


<私が考えた歌の意味>
石を投げつけられて追い出されたように故郷を出て来た。
その悲しみは消えることがない。

<私の想像を加えた歌の意味>
ふるさとを出たときのことを思い出す。
何者かに石を投げられて、追われているようだった。
出て行けと、ふるさとから追い出されたようだった。
出て行けという人は、ふるさとにはいなかったのに。
あの時の心情を思い出す。
あのやりきれないかなしみが、これから先も一生消えることはない。

石川啄木『一握の砂』「煙」 より

ふるさとを出て来(き)し子等の
相会いて
よろこぶにまさるかんしみはなし


<私が考えた歌の意味>
ふるさとを出て来た子どもたち同士が、都会で会う。
同じふるさとの人に会うことはうれしいことだ。
だが、それは、喜びをこえる深いかなしみだ。

<私の想像を加えた歌の意味>
村から出て来た子どもたち同士が、都会で会う。
都会に出て来た子どもたちは、この会合をなによりもよろこぶ。
都会に憧れてふるさとを出て来たのに、その都会で、ふるさとの人に会うことを一番の楽しみとする。
それは、なんとも皮肉で悲しい心状だ。

石川啄木『一握の砂』「煙」 より

あはれかの我の教へし
子等もまた
やがてふるさとを棄てて出づるらむ


<私が考えた歌の意味>
私が学校で教えたあの子どもたち。
あの子たちも故郷を出て行くのであろう。
あの子たちも故郷を棄てて都会へと出て行くのであろう。

<私の想像を加えた歌の意味>
故郷の小さな学校で、私が教えた子どもたち。
ああ、あの純真な子どもたちも故郷を棄てるのだろう。
美しい自然と、穏やかな人のつながりのあるあの故郷を。
故郷の村は貧しく、進歩もない。
貧しさゆえに、進歩のなさゆえに、若者は故郷を出る。
若者が向かう都会に、どんな豊かさが、どんな進歩があるというのか。

石川啄木『一握の砂』「煙」 より

田も畑も売りて酒のみ
ほろびゆくふるさと人に
心寄する日


<私が考えた歌の意味>
自分の田んぼも畑も売り払い、酒で身を滅ぼした人がいた。
故郷のそんな人のことを、なぜか考えてしまう日がある。

<私の想像を加えた歌の意味>
先祖代々受け継いできた田畑を、一時の現金が欲しいために売ってしまった何人かが、故郷にいた。
そういう何人かは、酒で身を亡ぼすのが定石だった。
大切な田畑を酒に費やしてしまったと、故郷でも愚か者扱いされる人たちだ。
だが、過酷な農民の暮らしを知っているだけに、そういう人を一概に非難できない。
あの身を滅ぼした人たちも、私の故郷の人の何人かなのだ。
あの身を滅ぼした人たちも、故郷の親しかった人たちなのだ。

万葉集 巻三 259

何時の間も 神さびけるか 香具山の 鉾杉が末に こけ生すまでに
いつのまも かんさびけるか かぐやまの ほこすぎがうれに こけむすまでに

<私の想像を加えた歌の意味>
長い年月を経ているのであろう。
香具山の鉾杉の大木。
神がそこにおられるのがわかる。
香具山の鉾杉の梢は、苔むしている。

万葉集 巻三 258 反歌二首(258・269)

人漕がず あらくも著し 潜きする 鴛鴦とたかべと 船の上に住む
ひとこがず あらくもしるし かずきする おしとたかべと ふねのうえにすむ

<私が考えた歌の意味>
池に浮いている船の様子を見れば、漕ぐ人がいなくなったのがはっきりとわかる。
水に潜るオシドリとタカベとが、船の上に長いこととまっている。

<私の想像を加えた歌の意味>
池の船は、長い間、漕ぐ人もなく、うち捨てられていたのだ。
船の上には、オシドリとタカベが、まるで住んでいるようにとまっている。
大宮人が華やかに遊んだ船は、今は、使われることもなく、水鳥の棲み処になってしまった。

万葉集 巻三 257 鴨君足人(かものきみたるひと)の香具山の歌一首

天降りつく 天の香具山 霞立つ 春に至れば
あもりつく あめのかぐやま かすみたつ はるにいたれば

松風に 池波立ちて 桜花 木の暗茂に
まつかぜに いけなみたちて さくらばな このくれしげに

沖辺には 鴨つま呼ばひ 辺つへに あぢむら騒き
おきへには かもつまよばい へつへに あじむらさわき

ももしきの 大宮人の まかり出て 遊ぶ舟には
ももしきの おおみやひとの まかりでて あそぶふねには

梶棹も なくてさぶしも 漕ぐ人なしに
かじさおも なくてさぶしも こぐひとなしに 

<私の想像を加えた歌の意味>
香具山に、春に来て景色を眺めた。
香具山の麓の池では、松の木を渡って風が吹き、池の面に波が立っている。
池のまわりには木暗いほどに桜の木が茂り、盛んに花を咲かせている。
池の沖では鴨が妻を呼び、岸の方ではあじ鴨の群れが騒いでいる。
いかにも明るい春の景色であり、昔の都にふさわしい華やかさだ。
それなのに、昔の大宮人が遊んだ舟は、梶も棹もなく、漕ぐ人もいない。
やはり、ここに昔の都の賑わいを求めることはできない。

柿本朝臣人麻呂羇旅の歌八首 巻三 249~256  249 250 251 252 253 254 255 256

 柿本人麻呂は、旅先の地の特徴をそれぞれ題材として挙げている。
 そこには、各地の景観が、旅の移動に伴う動きとともに描かれている。また、作者が、旅の途中のそれぞれの地方への到着を楽しみにしている気持ちが表れている。
 一方で、251・252・254では、旅の途中途中で、都、大和を恋しく思う気持ちが表れてくる。そして、255では、「柿本朝臣人麻呂羇旅の歌八首」の中で、最も強く作者の気持ちを感じる。それは、故郷大和へ早く戻りたいという思いだ。
 八首を通して読むと、都とは違う辺鄙な旅先の地へ向かいながら、いつも心にあるのは都のことであった人麻呂の心情が感じられる。
 ※249は一部分解読不能。
 ※一連の短歌から時間的経過と旅程を想定することはできないとされている。

万葉集 巻三 256 

飼飯の海の 庭良くあらし 刈薦の 乱れて出る 見ゆ海人の釣船
けいのうみの にわよくあらし かりこもの みだれていずみゆ あまのつりぶね

<私が考えた歌の意味>
飼飯の海に、漁師たちの釣船が、入り乱れるように漕ぎ出ていく。
ここ飼飯の海は波も凪いで、魚がたくさん採れているようだ。
この海の豊かさが、旅の途上の私にもよくわかる。

万葉集 巻三 255

天離る 鄙の長道ゆ 恋ひ来れば 明石の門より 大和島見ゆ
あまざかる ひなのながじゆ こいくれば あかしのとより やまとしまみゆ 

<私の想像を加えた歌の意味>
都からはるばる離れた辺境の地に赴かざるをえなかった。
華やかさも心をなぐさめるものもないこの地方から、ようやく都、大和に戻れることになった。
大和を目指して、旅を続けるが、なかなか大和は近づかない。
長い道すがら、大和への恋しさだけが募る。
明石海峡に入ると、ようやく大和の地が遠くに見えてきた。
恋しい大和の地に近づいたことがなんともうれしい。

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