万葉集のかたわらにキーボード

記事は、原文に忠実な現代語訳や学問的な解釈ではありません。 私なりにとらえた歌の意味や、歌から思い浮かぶことを書いています。

万葉集 巻三 258 反歌二首(258・269)

人漕がず あらくも著し 潜きする 鴛鴦とたかべと 船の上に住む
ひとこがず あらくもしるし かずきする おしとたかべと ふねのうえにすむ

<私が考えた歌の意味>
池に浮いている船の様子を見れば、漕ぐ人がいなくなったのがはっきりとわかる。
水に潜るオシドリとタカベとが、船の上に長いこととまっている。

<私の想像を加えた歌の意味>
池の船は、長い間、漕ぐ人もなく、うち捨てられていたのだ。
船の上には、オシドリとタカベが、まるで住んでいるようにとまっている。
大宮人が華やかに遊んだ船は、今は、使われることもなく、水鳥の棲み処になってしまった。

万葉集 巻三 257 鴨君足人(かものきみたるひと)の香具山の歌一首

天降りつく 天の香具山 霞立つ 春に至れば
あもりつく あめのかぐやま かすみたつ はるにいたれば

松風に 池波立ちて 桜花 木の暗茂に
まつかぜに いけなみたちて さくらばな このくれしげに

沖辺には 鴨つま呼ばひ 辺つへに あぢむら騒き
おきへには かもつまよばい へつへに あじむらさわき

ももしきの 大宮人の まかり出て 遊ぶ舟には
ももしきの おおみやひとの まかりでて あそぶふねには

梶棹も なくてさぶしも 漕ぐ人なしに
かじさおも なくてさぶしも こぐひとなしに 

<私の想像を加えた歌の意味>
香具山に、春に来て景色を眺めた。
香具山の麓の池では、松の木を渡って風が吹き、池の面に波が立っている。
池のまわりには木暗いほどに桜の木が茂り、盛んに花を咲かせている。
池の沖では鴨が妻を呼び、岸の方ではあじ鴨の群れが騒いでいる。
いかにも明るい春の景色であり、昔の都にふさわしい華やかさだ。
それなのに、昔の大宮人が遊んだ舟は、梶も棹もなく、漕ぐ人もいない。
やはり、ここに昔の都の賑わいを求めることはできない。

柿本朝臣人麻呂羇旅の歌八首 巻三 249~256  249 250 251 252 253 254 255 256

 柿本人麻呂は、旅先の地の特徴をそれぞれ題材として挙げている。
 そこには、各地の景観が、旅の移動に伴う動きとともに描かれている。また、作者が、旅の途中のそれぞれの地方への到着を楽しみにしている気持ちが表れている。
 一方で、251・252・254では、旅の途中途中で、都、大和を恋しく思う気持ちが表れてくる。そして、255では、「柿本朝臣人麻呂羇旅の歌八首」の中で、最も強く作者の気持ちを感じる。それは、故郷大和へ早く戻りたいという思いだ。
 八首を通して読むと、都とは違う辺鄙な旅先の地へ向かいながら、いつも心にあるのは都のことであった人麻呂の心情が感じられる。
 ※249は一部分解読不能。
 ※一連の短歌から時間的経過と旅程を想定することはできないとされている。

万葉集 巻三 256 

飼飯の海の 庭良くあらし 刈薦の 乱れて出る 見ゆ海人の釣船
けいのうみの にわよくあらし かりこもの みだれていずみゆ あまのつりぶね

<私が考えた歌の意味>
飼飯の海に、漁師たちの釣船が、入り乱れるように漕ぎ出ていく。
ここ飼飯の海は波も凪いで、魚がたくさん採れているようだ。
この海の豊かさが、旅の途上の私にもよくわかる。

万葉集 巻三 255

天離る 鄙の長道ゆ 恋ひ来れば 明石の門より 大和島見ゆ
あまざかる ひなのながじゆ こいくれば あかしのとより やまとしまみゆ 

<私の想像を加えた歌の意味>
都からはるばる離れた辺境の地に赴かざるをえなかった。
華やかさも心をなぐさめるものもないこの地方から、ようやく都、大和に戻れることになった。
大和を目指して、旅を続けるが、なかなか大和は近づかない。
長い道すがら、大和への恋しさだけが募る。
明石海峡に入ると、ようやく大和の地が遠くに見えてきた。
恋しい大和の地に近づいたことがなんともうれしい。

新年の一月も最後の週に入った。
ずいぶんと、更新していなかった。
別に何があったわけでもないが、言い訳をするなら、雪かきで体力を消耗していた。
でも、今年もこのブログを更新していくつもりに変わりはない。
「万葉集」と「一握の砂」と「みだれ髪」それにしばらく読んでいない「山家集」を軸に短歌を味わっていく。
「一握の砂」と「みだれ髪」は、今年中に読み終わりたい。
とにかく遅く、うろうろするのが、私のやり方だ。
今年も訪問してくださる方を励みに、短歌の世界のほんの一端に触れ続けたい。

万葉集 巻三 254

灯火の 明石大門に 入らむ日や 漕ぎ別れなむ 家のあたり見ず
ともしびの あかしおおとに いらんひや こぎわかれなん いえのあたりみず

<私の想像を加えた歌の意味>
私たちの乗る船が、明石海峡に近づいてくる。
明石海峡を過ぎると、もう都とは異なる地にすっかり入ったことになる。
明石海峡に入ってしまえば、家のある方を見ることもできなくなる。
明石海峡に入るときには、これが最後だからと家の辺りを見ることもしないうちに、船は進んでしまうのだろう。

万葉集 巻三 202

稲日野も 行き過ぎかても 思へれば 心恋しき 加古の島見ゆ
いなびのも ゆきすぎかてに おもえれば こころこいしき かこのしまみゆ

<私が考えた歌の意味>
稲日野の景色がよくて、通り過ぎるのを残念に思っている。
稲日野を過ぎ去るのを惜しく思いながらも旅を続けていると、今度は加古の島が見えて来た。
前から訪れるのを楽しみにしていた加古の島に近づいた。

万葉集 巻三 202

荒たへの 藤江の浦に すずき釣る 海人とか見らむ 旅行くわれを
あらたえの ふじえのうらに すずきつる あまとかみらん たびゆくわれを

<私の想像を加えた歌の意味>
苦労を重ねて、ここまで海路を旅して来た。
都からは遠く離れた藤江の入江が見える。
だが、この旅の苦労と都を恋しく思う気持ちは、傍からはわからないだろう。
この私のことを、この地の人々は、すずきを釣る漁師と見ているかもしれない。

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