万葉集のかたわらにキーボード

記事は、原文に忠実な現代語訳や学問的な解釈ではありません。私なりにとらえた歌の意味や、歌から思い浮かぶことを書いています。

この世には 人言繁し 来む世にも 逢はむわが背子 今ならずとも
このよには ひとごとしげし こんよにも あわんわがせこ いまならずとも  


この世であなたと私がいっしょになるには世間の口がうるさすぎます。
互いの事情をかなぐり捨てて、別の世界で暮らしましょう。
今でなくても、来世であっても、あなたといっしょになれるならそれでも私はかまわない。  

 時代が違えば心中ということか。心中という言葉も行動も最近は聞かなくなった。恋する二人を妨げる世間がなくなったからなのだろうか。今の日本に恋する二人を妨げるものは少ない。

 万葉の時代は、物理的な距離さえもが二人をいっしょにさせない要素になっている。「人言繁し」とあるように、他人の言葉やこの時代の男女間の風習も、恋人同士を自由に行き来させない要因になっている。ただし、古代であろうとも、歌にするということは、自分の思いを表現によって、恋の相手と他の人にも伝えるということである。それゆえ、想いの強さを「今ならずとも」と相手に示すところに、作者の意図がある。
 こういう表現を相手から示されると、まんざらでもないという気分を通り越し、「おもいなあ。」と感じてしまうかもしれない。

わが背子に または逢はじかと 思へばか 今朝の別れの すべなかりつる  
わがせこに またはあわじかと おもえばか けさのわかれの すべなかりつる


今お別れをすると、もう二度と逢えないような気がします。
だからなのでしょうか、今朝のあなたを見送るとき、優しい言葉をかけようとしても、笑顔をつくろうとしても、どうしてもできません。
なにもできなくてただ見送るのが、精いっぱいでした。

本屋のとなりは写真館 のカテゴリー「万葉集 私なりに読む」を移転、独立させました。


 口語訳のような文章になっていますが、口語訳や解釈ではありません。私なりに、万葉集の歌から受け取ったことや、万葉集についての口語訳や注釈から理解できたことを書いていきます。

↑このページのトップヘ