万葉集のかたわらにキーボード

記事は、原文に忠実な現代語訳や学問的な解釈ではありません。 私なりにとらえた歌の意味や、歌から思い浮かぶことを書いています。

万葉集 巻二 
91 天皇が鏡王女(かがみおおきみ)に与えられた御歌一首

妹が家も 継ぎて見ましを 大和なる 大島の嶺に 家もあらましを
いもがいえも つぎてみましを やまとなる おおしまのねに いえもあらましを

92 鏡王女(かがみおおきみ)がそれに答えた御歌一首

秋山の 木の下隠り 行く水の 我こそ益さめ 思ほすよりは
あきやまの このしたがくり ゆくみずの われこそまさめ おもおすよりは

<私が考えた歌の意味>
91
あなたの家をいつも見ていたい。
大和の大島の嶺にあなたの家があったなら、いつでも見ることができるのに。

92
秋の山の木の下を隠れるように水が流れます。
私の思いは、その水のように、あなたが思ってくださるよりも強いのです。

<私の想像を加えた歌の意味>
91
あなたの家がいつでも見えているとよいのに。
大和の大島の嶺にあなたの家があればよいのに。
私が見ようとすれば、いつでも見ることができるのに。
たとえ、すぐに行くことはできなくても、家を見ることができるのに。

92
秋の山の木の下を流れる水は、木の葉に覆われています。
表には見えませんが、隠れるように流れる水の勢いはとても強いのです。
あなたは、私の家をいつも見ていたい、とおっしゃるけれど。
私の思いは、それに勝っています。
表に見えずに流れる水のように、目立つことはありませんが、いつも思い続けています。

西行 山家集 上巻 春 44 7025

なにとなく のきなつかしき 梅ゆゑに 住みけん人の 心をぞ知る
なにとなく のきなつかしき むめゆえに すみけんひとの こころをぞしる

<私が考えた歌の意味>
軒の梅の香りがしてきた。
香りとともに、なんとなく昔のことが思い出される。
昔、ここに住んでいた人の心が伝わってくる。

<私の想像を加えた歌の意味>
この家の軒の梅の香りは、なんということもないが、昔のことを思い出させる。
昔、ここに住んでいた方も、梅の香りで春を感じていたのだろう。
住む人が変わっても、この家に住む人の心は変わらず、梅の香りを味わっている。

<歌の感想>
 「なにとなくのきなつかしき」は、とらえどころない感覚だ。梅の花を見ているのではないし、梅の香を嗅いでいるだけでもない。家の中にいて、微かな香りになにかを思っている。この家の風情が西行にはしっくりとくるのだろう。
 とらえどころないの微妙な感じだが、それが伝わってくるところが不思議でもある。

西行 山家集 上巻 春 43 7024

ひとり寝る 草の枕の 移り香は 垣根の梅の 匂いなりけり
ひとりぬる くさのまくらの うつりがは かきねのむめの においなりけり

<私が考えた歌の意味>
床を共にした人の残した香りが移り香です。
旅の独り寝の移り香は、垣根の梅の香りです。

<私の想像を加えた歌の意味>
独り寝なので、彼女の匂いが残るはずはない。
それなのに、布団の中で移り香を感じる。
旅の宿で感じるのは、宿の垣根の梅の香りだ。
梅の移り香もよいものだ。
旅の独り寝はさびしくはあるが。

<歌の感想>
 旅の宿で梅の香りを楽しんでいるというよりは、本物の移り香を求めている気持ちも感じる。感じ方が俗過ぎるであろうか。

万葉集 巻二 90

君が行き 日長くなりぬ やまたづの 迎へを行かむ 待つには待たじ
きみがゆき けながくなりぬ やまたずの むかえをゆかん まつにはまたじ

<私が考えた歌の意味>
あなたが行ってしまってから長い日にちが経ちました。
迎えに行こうと思います。
このままただ待つだけには耐えられません。

<私の想像を加えた歌の意味>
あなたが旅立たれてから、長い日にちが過ぎました。
お待ちしておれば、お戻りになると思っておりました。
でも、待つだけでなく、こちらからお会いするために出かけましょう。
このままでは、いつまでも一緒になることはかなわないでしょうから。

<歌の感想>
 詞書と左注から様々な場合が考えられる。どの場合を考えればよいか、判断がつかない。
 この短歌が題材としていることは、一人の女性の思いである。しかし、似た短歌86もあり、必ずしも詞書にある衣通王(軽太郎女)個人の作と考えなくともよいと思う。
 詞書や左注については、詮索せずに短歌の表現のみに注目した。

万葉集 巻二 89

居り明かして 君をば待たむ ぬばたまの わが黒髪に 霜は降るとも
おりあかして きみをばまたん ぬばたまの わがくろかみに しもはふるとも

<私が考えた歌の意味>
寝ないで、あなたを待っていましょう。
この黒髪に霜が降りようとも。

<私の想像を加えた歌の意味>
夜も更けましたが、このまま起きています。
たとえ、夜が明けようとも、あなたを待っています。
私のこの艶やかな黒髪が、霜に濡れたとしても。
あきらめずに待ち続けます。

石川啄木『一握の砂』「我を愛する歌」 より

打ち明けて語りて
何か損をせしごとく思ひて
友とわかれぬ

<私の想像を加えた歌の意味>
私の事情も全て打ち明けて、友と語り合った。
あの男も私と同じ境遇、同じ不満を持っていると思っていた。
だが、何かが違う。
あいつは、俺のことを諭すようなことも言う。
何だか損をした気分で、友と別れた。

<歌の感想>
 「余りある才を抱きて」は表現通りの短歌だし、なんだか啄木の雰囲気がない。この短歌と同じ友なのだろう。そうすると、この作の方がよくわかる。啄木でなくても、完全に共感し合える友は多くないと思う。

石川啄木『一握の砂』「我を愛する歌」 より

あまりある才を抱きて
妻のため
おもひわづらふ友をかなしむ

<私の想像を加えた歌の意味>
豊かな才能を持っているのに、世の中に認められない友がいる。
せっかくの才能を生かせず、生活のため、妻を養うためにいつも苦労している。
金のために悩んでいる友を見ると、つくづく悲しくなってしまう。

万葉集 巻一 74

み吉野の 山のあらしの 寒けくに はたや今夜も 我がひとり寝む
みよしのの やまのあらしの さむけくに はたやこよいも あがひとりねん

<私の想像を加えた歌の意味>
吉野の山の嵐は寒い。
故郷の家が恋しい。
妻が恋しい。
妻と一緒に寝る夜が恋しい。

 旅先の夫を、家の妻を、それぞれ思う歌が何首もある。その中で、最もすんなりと味わえた。離れた相手のことを詠まずに、自分のことだけを表現している点に特徴があると思う。

万葉集 巻一 58 高市連黒人

いづくにか 船泊てすらむ 阿礼の崎 漕ぎたみ行きし 棚なし小舟
いずくにか ふなはてすらん あれのさき こぎたみいきし たななしおぶね

<私の想像を加えた歌の意味>
小舟が、阿礼の崎を巡っているのが見えていた。
阿礼の崎の風景を楽しみながら、漕いでいたようだ。
今は、舟も見えず、いつも通りの海だ。
あの小舟は、今頃どこに泊まっているのだろう。

 以前の記事では、いろいろな想像をしてみた。しかし、改めて歌を味わうと、余計な想像は余計でしかなかった。  
 長い航路を行くには、頼りないような小舟の動きを眺めていた。その小舟は視界から消えたが、なんとなく、気になっている。
 舟が見えていたときの景色、舟が見えなくなった今の景色、その両方を思い描くことができる。

 好きな短歌は、作者に注目して選びはしなかった。額田王や柿本人麻呂の短歌が入って来るのは当然のような気がするが、高市連黒人の作を二首選ぶとは、自分でも意外だ。好みに一致するのだろう。

万葉集 巻二 88

秋の田の 穂の上に霧らふ 朝霞 いつへの方に 我が恋やまむ
あきのたの ほのうえにきらう あさがすみ いつへのかたに あがこいやまん
※「いつへの方に」の「へ」の読みが、「ヘ」か「え」かわからなかった。

<私が考えた歌の意味>
秋の田の朝霞はあっという間に消えてしまいます。
あの朝霞のように、私の恋心が消え去るのはいつのことでしょうか。

<私の想像を加えた歌の意味>
秋の田には稲穂が実っています。
その稲穂を覆いつくすように朝霞が立ち込めています。
でも、朝靄はいつの間にか、何もなかったように消えてしまいます。
私の心にも霞のような恋心が立ち込めています。
朝霞が消えてしまうように、恋しい心が消える日がくるのでしょうか。

<歌の感想>
 口訳萬葉集 折口信夫 では、次のように訳されている。「秋の田に実った稲穂の上に、ぼうと懸かつてゐる朝霞が、何方かへ消えてなくなるやうに、自分の戀ふ心も、どちらへでも消散させたいが、到底、何方へも散らすわけにはいかない。」
 この訳がしっくりとくる。
 恋が成就するともしないともわからないもやもやした状態から抜け出したい、というよりは、しばらくはこのぼんやりしたままなのだろう、という気持ちを感じる。

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