万葉集のかたわらにキーボード

記事は、原文に忠実な現代語訳や学問的な解釈ではありません。 私なりにとらえた歌の意味や、歌から思い浮かぶことを書いています。

石川啄木『一握の砂』「我を愛する歌」 より

事もなく
且つこころよく肥えてゆく
わがこのごろの物足らぬかな

<私が考えた歌の意味>
何事もなく、平穏な日が続いている。
平穏なだけでなく、体の調子もよく、気持ちも穏やかで肥えてきた。
このような日々に物足りなささえ感じる。

<歌の感想>
 平穏で健康な日々だけからは、啄木の短歌は生まれないのであろう。この短歌に表れている心境が、深い悲しみや怒りを表現できることの裏側にあるのだろうか。

石川啄木『一握の砂』「我を愛する歌」 より

水晶の玉をよろこびもてあそぶ
わがこの心
何(なに)の心ぞ

<私が考えた歌の意味>
水晶の玉を手に入れた。
この玉の美しさにうれしくなり、折にふれもてあそぶ。
このような物に心を奪われるなんて、わが心はどうなったのか。

<私の想像を加えた歌の意味>
水晶の玉を、これは値打ちのある物ですよ、と言ってある人が置いていった。
今までは、珍しい物や貴重な石なぞには関心がなかった。
この水晶の玉はなぜか気に入り、気が付くともてあそぶようになった。
他人が珍しいものだとありがたがる物を、私もよろこぶなんて、いったいどうしたことだろう。

<歌の感想>
 読者としても、啄木はどうしてしまったのだろう、と思う。当時に水晶がどの程度の価値があり、また流行していたのかは分からないが、良いものであれば貴重品であったろう。宝飾品の美しさを感じていることに、啄木自身が驚いていることを感じる。

石川啄木『一握の砂』「我を愛する歌」 より

とある日に
酒をのみたくてならぬごとく
今日われ切(せち)に金(かね)を欲(ほ)りせり

<私が考えた歌の意味>
ある日、酒を飲みたくてたまらなくなったことがある。
その日と同じように、今日の私は金が欲しくてたまらない。

<私の想像を加えた歌の意味>
どうしても我慢がならないほど酒が飲みたくなる日があった。
その時は、暮らしに必要な金にも手をつけて酒を買い、酔い潰れた。
あの日とまるで同じように、今日の私は金だけが欲しい。
どんな恥ずかしいことをしても、何を手放してもいいから、切実に金が欲しいのだ。

<歌の感想>
 この歌集の今までの作で、酒のことは出てきていない。啄木に、酒好きをうかがわせるものは感じられない。また、今食うに困っていることを詠んでいるのでもない気がする。
 「今日のわれ」は、他のどんなことよりも、金が欲しいと言っている。いつもの作者は、何よりも金が欲しいとは思っていないが、今日は金が何よりも優先する、ということなのであろう。金銭的に苦しい生活が続いていること、生活が行き詰っていることを感じる。

石川啄木『一握の砂』「我を愛する歌」 より

何もかも行末の事みゆるごとき
このかなしみは
拭ひあへずも

<私が考えた歌の意味>
何もかも将来の事が見えてしまう気がする。
先の事がわかってしまうかなしみは、拭っても拭っても拭いきれない。

<私の想像を加えた歌の意味>
私の行く末が見えてくる。
行く末に希望は見えない。
何をしても何があっても、私の行く末はもう変わらない。
そう思うしかないときに、無性にかなしくなる。
このかなしみから逃れたい。
だが、いくら拭ってもこのかなしみを拭いきれない。

<歌の感想>
 「このかなしみ」は深く暗いと感じる。それと同時にそれをどう表現しようかとあがいている啄木をも感じる。

西行 山家集 上巻 春 45 7026

春雨の 軒たれこむる つれづれに 人に知られぬ 人の住家か
はるさめの のきたれこむる つれづれに ひとにしられぬ ひとのすみかか

<私が考えた歌の意味>
春雨が降り続き、軒からの雨だれがすだれのようだ。
こうやって、何をするということもなく家にいると、この家に住んでいた人のことが思われる。
ここに住んでいた人は、人と交わることもなく暮らしていたのだろう。

<私の想像を加えた歌の意味>
春雨の日が降り続き、軒から雨だれがすだれのように見えている。
雨だれの音を聞きつつ、なにをするでもなく家にいる。
訪れる人もなく、家の中は静かだ。
この住処は、世の中と交わらぬ人が暮らすにふさわしい。

<歌の感想>
 44と45では住居のことが詠まれている。庭や住居の造りよりは、住んでいる人の好みが重要視されている。

石川啄木『一握の砂』「我を愛する歌」 より

はたらけど
はたらけど猶(なほ)わが生活(くらし)楽にならざり
ぢつと手を見る

<私が考えた歌の意味>
はたらいたけれど。
はたらいたけれど前と変わらず、わたしの生活は楽にならない。
じっと自分の手を見る。

<私の想像を加えた歌の意味>
働いた。
金を得るために、我慢して働いた。
だが、前より多く働いても、家計が楽になるほど金を稼げない。
私の手は、文章をつくる。
私の手は、短歌をつくる。
だが、文学では、貧乏から抜け出せない。
文学以外のことをやっても、家族の生活が楽になるほどは稼げない。
自分の手を、じっと見る。
この手は、金を稼ぐための手ではない。

<歌の感想>
 作品が有名過ぎて、自分の感想がまだ湧いてこない。
 いくら働いても収入が少ないことに愚痴を言っているのとは違う。また、いくら働いても家計費や物価が高いことを嘆いているのでもない。愚痴や嘆きから一歩踏み込んだ何かを感じる。
 読者がこの短歌に共感するのは、働いた対価が金銭でしかないことと、その金銭のほとんどが生活費として消えていくことに、矛盾ややりきれなさを感じているからではあるまいか。
 「ぢつと手を見る」ことが、その矛盾ややりきれなさと共鳴すると感じる。

石川啄木『一握の砂』「我を愛する歌」 より

誰が(たれ)見てもとりどころなき男来て
威張りて帰りぬ
かなしくもあるか

<私の想像を加えた歌の意味>
誰が見ても、あの男に良いところを見つけるのは難しい。
その男が親し気に、私の所へやって来た。
そして、聞きたくもないことを喋り散らしていった。
結局は、自分のしていることを威張っているだけの話だった。
あの空威張りを前にすると、あの男が憐れになり、悲しい気分にさえなってしまう。

石川啄木『一握の砂』「我を愛する歌」 より

人並(ひとなみ)の才に過ぎざる
わが友の
深き不平もあはれなるかな

<私の想像を加えた歌の意味>
才能がないわけでもないが、人並みの才能をもつ友人がいる。
その友人だが、自分の才能を世間が認めないことへの不平は人並み以上なのだ。
才能に勝る不平を聞かされると、その友人に憐れに感じてしまう。

<歌の感想>
 友人を題材にすると、その人を非難する作が多い。そして、表現は平凡になると感じる。

石川啄木『一握の砂』「我を愛する歌」 より

どんよりと
くもれる空を見てゐしに
人を殺したくなりにけるかな

<私が考えた歌の意味>
どんよりと曇った空を見ていた。
そのときにわきあがってきた。
人を殺したいという思いが。

<私の想像を加えた歌の意味>
昼なのに暗い空だった。
どんよりと曇っていた。
その空をただ見ていた。
ただ見続けていた。
人を殺したくなった。
どんよりと曇った空を見ていたら、そんなことを思ったのだ。
人を殺したい、と。

<歌の感想>
 「人を殺したく」は激しいが、他の表現は平凡である。陰鬱な感情を詠んでいるには違いないが、それほど強いものを感じさせない作だと思う。

万葉集 巻二 
93 内大臣藤原卿(鎌足)が鏡王女に求婚した時、鏡王女が内大臣に贈った歌一首

玉くしげ 覆ふをやすみ 明けていなば 君が名はあれど わが名し惜しも
たまくしげ おおうをやすみ あけていなば きみがなはあれど わがなしおしも

94 内大臣藤原卿が鏡王女に返した歌一首
玉くしげ みもろの山の さな葛 さ寝ずは遂に ありかつましじ
たまくしげ みもろのやまの さなかづら さねずはついに ありかつましじ

<私が考えた歌の意味>
93
あなたは、お泊りになったことを隠すのはたやすいと、夜が明けてから帰ろうとなさっています。
あなたの名がそれで傷つくことはないでしょうが、私は自分の名が惜しいのです。

94
あなたのところに来ているのに、寝ずに帰ってしまうことなどありえません。
このまま、結ばれないのなら、生きていることもできないでしょう。

<私の想像を加えた歌の意味>
93
あなたは、二人の関係を隠しておくのはたやすいと、夜が明けるまで帰らないおつもりですね。
あなたは、それでもよいかもしれませんが、私にとってはそうはいきません。
私の立場も考えて、いらしてもよいのですから、もっと慎重に振舞ってください。

94
あなたと一緒の夜を過ごすことができないなど思いもよりません。
周りの人々の評判など、気にしてはいられません。
あなたは、自分の立場を気にかけていますが、私は、あなたなしでは生きていることさえできないほどです。

<歌の感想>
 鏡王女の歌93には、自分の立場を気にかけてほしい、と相手をたしなめる気持ちを感じる。藤原卿の歌94からは、強い求婚の思いと同時に、この求婚が周囲に知れてもそんなことは心配しなくともよい、という自信が感じられる。

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