万葉集のかたわらにキーボード

記事は、原文に忠実な現代語訳や学問的な解釈ではありません。私なりにとらえた歌の意味や、歌から思い浮かぶことを書いています。

山家集 西行 19 6999

春日野は 年のうちには 雪つみて 春は若菜の 生ふるなりけり

冬の間は雪景色の野原だ。
その原が、春になると一面に若菜が生え、若菜摘みに皆が集まる。
春日野は、冬から春への変化をはっきりと見せてくれる所だ。


 春を迎える前の雪景色。雪の下で春へ向けて動く自然の営み。春になった春日野の景色。春を迎えて行われる若菜摘みの賑わい。
 たくさんの要素が、一首の中に込められている。短くて、美しいリズムの中で、これら多くのことを味わうことができる。
 作者はいったいどこで何を見ているのだろうか。和歌を作ったのは年のうちなのか春なのか。こういう詮索は意味がないようにさえ思える。

山家集 18 6998

今日はただ 思ひもよらで 帰りなむ 雪つむ野辺の 若菜なりけり

春は来ているだろうかと、野原に出かけてみた。
野原はまだ雪が積もっていて、春の気配は少しも感じられない。
今日は、この野原で若菜を摘むことなど思いもよらない。

 今日は雪の積もっている野原だが、間もなく、春の景色に一変するだろうという思いが感じられる。

石川啄木『一握の砂』「我を愛する歌」 より

こみ合へる電車の隅に
ちぢこまる
ゆふべゆうべの我のいとしさ
 

<私の想像を加えた歌の意味>
夕方の帰宅時の電車は、いつも混み合う。
今日一日の仕事を終えて、その電車に乗り込む。
電車の中は、私と同じような疲れた顔の勤め人でいっぱいだ。
疲れて無言の人々を乗せて、電車は夕方の街を走る。
昨日の夕方も、今日も、そして明日も、同じように満員の電車に身を縮めて揺られているのだ。
そんな自分をかわいそうに思う。

<歌の感想>
 勤め人の実際を鋭く表現していると感じる。ここには、仕事を終えた満足感や家に戻る安堵感はなく、都市部の労働者の悲哀がある。
 この作品は、歌集の小題「我を愛する歌」に一致するものの一つだと思う。その意味でも、重要な作だと感じた。

※以前の記事を改めた。(2016/11/20)

山家集 5 6984

門ごとに 立つる小松に かざられて 宿てふ宿に 春はきにけり


家々に松が飾られている。
町中の家々が春を迎えている。


 現代とは暦が違う。旧暦を考えながら味わう必要がある。「小松」は門松のようなものとの解説もあるが、よくは分からない。ただ、家並が続き、その家ごとに新春を迎える飾りがある風景は想像できる。
 昭和時代にはプラスチック製であっても正月飾りが多くの家々に飾られていた。私が子どもの頃は、銀行やデパートには立派な門松も飾られていた。年賀状や雑煮もそのうちに過去のものになりそうだ。

山家集 3 6981

春立つと おもひもあへぬ 朝出に いつしか霞む 音羽山哉

まだ春が来るとは思っていなかった。
朝出かけて山の方を見ると、音羽山に霞が立っている。
春が来た、と感じた。


 自分の家の周りには、春を告げるような景色を見いだせない。でも、暦は春になっている。
 朝に行く所があって、出かける道すがら遠くの山を見る。遠くの音羽山の風景がなんとはなしに春めいて見える。その景色に春の到来を感じ取った、といった気分だろう。
 山が霞んで見える、遠くに春霞が見える、などというのは見る人によって異なる曖昧な現象であろう。その曖昧さ、わずかな変化を表現しているのが、おもしろい。

山家集 2(底本の歌の通し番号)  6980(続国歌大観番号) 
※本文は、日本古典文学大系 山家集 金槐和歌集 岩波書店 によった。ただし、漢字の字体は新しいものに改めた場合もある。

山のはの 霞むけしきに しるきかな けさよりやさは 春の曙

春が来たと、今朝、感じた。
曙の山に霞がかかっている景色に、春を感じとった。


 季節の推移は明らかなものではない。昨日まで冬で、今日からは春だとは言えないものだ。それでいながら、暦に沿って季節の変わり目を感じるし、天候や景色の変化によって新しい季節をとらえている。
 あいまいで緩やかな変化を複合して、ある時にフッと「春になった」と感じる。
 そういう感受の様が表現されていると思う。

 挽歌を続けて読むと、気持ちが重くなる。そこで、西行を読んでみた。気持ちが緩むようだ。現代の私も、同じ時刻、同じような景色に、春を感じる。不思議なものだ。

斉藤茂吉『赤光』「おくに」より


あのやうにかい細りつつ死にし汝(な)があはれになりて居りがてぬかも

あんなに腕も細くなって、死んでいった。
おまえの一生を思うと、たまらない思いが満ちてくる。
なきがらの傍にいるにさえ私には耐えらえない。


この世にも生きたかりしか一念(いちねん)も申さず逝(ゆ)きしよあはれなるかも

もっと生きていたいと思っていただろう。
生きたい、と口にすることなく、おまえは逝ってしまった。
そんなおまえの気持ちを思うことしかできない。


にんげんの現実(うつつ)は悲ししまらくも漂ふごときねむりにゆかむ

生きている人間がなすべきことはいつもと変わらない。
どんなにおまえの死に打ちのめされようと、眠らなければ生きていけない。
現実には眠ってしまう。漂うように浅い眠りであっても。


生きている汝(なれ)がすがたのありありと何に今頃見えてきたるかや

生きているおまえの姿がありありと思い浮かぶ。
なぜ、今、おまえの姿がこんなにはっきりと浮かぶのか。
きっかけもないのに。



 意訳の中では、「あはれ」「悲し」は訳すことができなかった。原文を味わうしかない。


 亡くなった「おくに」本人の悲しみを、作者は自己のもののように感じている。そして、残された自分の辛さを表出している。さらに、亡くなった人へ語りかける気持ちが伝わる。
 短歌は、自己の感情を描くだけでなく、相手へのはたらきかけと交流の役割を担っていると感じさせる。相聞挽歌としてのはたらきは、柿本人麻呂の作品に色濃いが、近代の斉藤茂吉の中にもその意識を感じる。

斉藤茂吉『赤光』「おくに」より

なにか言ひたかりつらむその言(こと)も言へなくなりて汝(なれ)は死にしか

何か言いたいことがあったろう。
その言葉を言うこともできなくなった。
おまえは何かを言い残すこともなく死んでしまった。


これの世に好(す)きななんぢに死にゆかれ生きの命の力なし我(あれ)は

好きなおまえはもうこの世にいない。
おまえに死なれた私は、生きていく力も失くしてしまった。


 長年連れ添った妻を失ったときとは異なる心情を感じる。事情はどうであれ、愛した女性に死なれた作者の心情が伝わる。
 
「生きの命の力なし我は」 大切に思う人の死を突きつけられたときに感じる感覚は、時代を超えて柿本人麻呂の短歌と繋がっている。

216

家に来て 我が屋を見れば 玉床の 外に向きけり 妹が木枕
いえにきて わがやをみれば たまどこの よそにむきけり いもがこまくら


なきがらを葬って家に戻った。
家の中を見渡してもただひっそりしている。
見慣れた妻の枕がいつもと違う方を向いて、残されている。

 古代には亡き人の枕に魂がこもると信じられていた、という解説もある。現代でも遺品には物だけではない何かを感じる。現代人の感覚と万葉集の時代の人々との違いは、それほど大きくはないだろう。亡き人の身の回りの品々から、その人の在りし日が強く浮かび上ってくるのを抑えようとしても抑えられない作者の気持ちが伝わってくる。

212

衾道を 引手の山に 妹を置きて 山道を行けば 生けりともなし
ふすまじを ひきでのやまに いもをおきて やまぢをいけば いけりともなし


 前回の私の意訳がすっきりしないので、もう一度考えてみた。

口語訳・大意の比較

羽交の山に、いとしい人を残して置いて、山路を帰って来ると、生きている元気もない。口訳萬葉集 折口信夫

引出の山に妹の屍を置いて山路を帰ると、生きた心地もない。日本古典文学大系 萬葉集 岩波書店

(衾道を) 引出の山に 妻を置いて その山路を思うと 正気もない。日本古典文学全集 萬葉集 小学館

(衾道を)引出の山に、妻を置いて来て山路を帰って行くと、自分は生きている感じがしない。新日本古典文学大系  萬葉集 岩波書店

再考した私の意訳

妻のなきがらを引出の山に葬って来た。
もう妻のなきがらさえも見ることができない。
家へと戻る山道を歩くわが身はこの世にあるが、生きている感覚がない。

 前回に比べて、今回の訳がよくなりはしなかった。前回の「もう生きる気力もない」は、どうも違う気がしたので、直してみた。

212

衾道を 引手の山に 妹を置きて 山道を行けば 生けりともなし
ふすまじを ひきでのやまに いもをおきて やまぢをいけば いけりともなし


妻のなきがらを葬って、山道を家へと戻る。
家に戻っても、妻のなきがらさえも見ることはできない。
私にはもう生きる気力もない。


 207~216の長歌と短歌のそれぞれの関連について諸説ある。今は、内容の異なる短歌を主に取り上げ、読み進める。

 212まででも、妻の死を悼む心情のあらゆる面が表現されていると感じる。この悲しみは現代人にも受け継がれている。受け継いでいるだけでなく、柿本人麻呂の表現以外には、愛する人の死を受容する術を、現代に生きる私は持っていないと思う。

211

去年見てし 秋の月夜は 照らせれど 相見し妹は いや年離る
こぞみてし あきのつくよは てらせれど あいみしいもは いやとしさかる


今夜は月が美しい。
去年の秋の夜は妻といっしょに月を眺めていた。
月は変わりなく夜空を照らしている。それなのに、いっしょに見た妻はこの世にいない。
時が経てば経つほど、妻と共に過ごした日々が遠いものになっていく。

208

秋山の 黄葉を繁み 惑ひぬる 妹を求めむ 山道知らずも
あきやまの もみぢをしげみ まどいぬる いもをもとめん やまぢしらずも


妻はこの世にもういない。
いや、妻と永遠に会えないなどとは思わない。妻はもみじの山に迷い込んだだけなのだ。
もみじがあまりに繁っているので、すっかり道に迷い戻って来れないだけなのだ。
だが、その妻を探すための道を、私は見つけることができない。


209

もみち葉の 散り行くなへに 玉梓の 使ひを見れば 逢ひし日思ほゆ
もみちばの ちりゆくなえに たまづさの つかいをみれば あいしひおもおゆ


もみじの散りゆくころに私の妻はこの世を去った。
生前の妻が私への手紙を託した使いの人を、たまたま見かけた。
使いの人を見かけたとたんに、妻と逢うことができた日々がありありと思い浮かんできた。


 結婚の形態は現代とは違っていても、互いに求め合って過ごした女性の突然の死に戸惑い悲しむ心情が伝わってくる。
 207の長歌では、行き交う人の中に亡き妻の姿を探してしまう作者の心情が表れている。
 208の短歌では、思い乱れるほどの喪失感を感じる。
 209の短歌では、亡き妻にまつわる人のことから、亡き妻とのありし日を思い出したことが伝わってくる。この心情は、時代を超えて迫ってくる。ただし、208と209は、長歌との関連性で受け取らないと、理解が難しい。

柿本朝臣人麻呂の、妻死して後に泣血哀慟して作りし歌二首
かきのもとのあそみひとまろの、つまししてのちに きゅうけつあいどうして つくりしうたにしゅ

柿本人麻呂の妻が死にました。妻が死んだことを知った人麻呂は激しく泣き悲しみました。そのときに作った歌。

207

天飛ぶや 軽の道は 我妹子が 里にしあれば ねもころに 見まく欲しけど
あまとぶや かるのみちは わぎもこが さとにしあれば ねもころに みまくほしけど

やまず行かば 人目を多み まねく行かば 人知りぬべみ さね葛 後に逢はむと 
やまずいかば ひとめをおおみ まねくいかば ひとしりぬべみ さねかづら のちにあわんと 

大船の 思ひ頼みて 玉かぎる 磐垣淵の 隠りのみ 恋ひつつあるに 
おおぶねの おもいたのみて たまかぎる いわかきふちの こもりのみ こいつつあるに 

渡る日の 暮れぬるがごと 照る月の 雲隠るごと 沖つ藻の なびきし妹は 
わたるひの くれぬるがごと てるつきの くもがくるごと おきつもの なびきしいもは 

黄葉の 過ぎて去にきと 玉梓の 使ひの言へば 梓弓 音に聞きて 
もみちばの すぎていにきと たまづさの つかいのいえば あづさゆみ おとにききて 

言はむすべ せむすべ知らに 音のみを 聞きてありえねば 我が恋ふる 千重の一重も 
いわんすべ せんすべしらに ねのみを ききてありえねば わがこうる ちえのひとえも 

慰もる 心もありやと 我妹子が やまず出で見し 軽の市に 我が立ち聞けば 
なぐさもる こころもありやと わぎもこが やまずいでみし かるのいちに わがたちきけば

玉だすき 畝傍の山に 鳴く鳥の 声も聞こえず 玉鉾の 道行き人も 
たまだすき うねびのやまに なくとりの こえもきこえず たまほこの みちゆきびとも 

ひとりだに 似てし行かねば すべをなみ 妹が名呼びて 袖そ振りつる
ひとりだに にてしいかねば すべをなみ いもがなよびて そでそふりつる



<私の想像を加えた歌の意味>
離れて暮らしていた妻の死を、使いの人から告げられました。
軽の道は、妻の住んでいる所へ通じる道です。その道を通って、妻の所へもっともっと行きたかったのですが、あまりにたびたび行くと人目について、あの妻の所にばかり通っていると知られてしまいます。
もっと会いたいという思いを我慢すれば、これからも妻の所に通えるだろうと、恋しい思いを抑えて行かないようにしていました。
それなのに、その妻の死を告げる使いが来たのです。
まるで明るい陽光が暮れていくように、まるで夜空を照らしていた月が雲に隠れるように、妻はこの世を去ったと言うのです。
なびき添って夜を過ごした妻が、黄葉が散っていくように、この世を去ったと言うのです。
使いの人の言葉を聞いて、何と言えばよいか言葉がみつかりませんし、何をすればよいか分かりません。
どうしてよいのか考えることもできないまま、何もせずにいることも辛くて、かすかな慰めになればと思って、軽の市へ出かけてみました。軽の市は、亡き妻がよく出向いていた所でしたから。
軽の市では、人々が行き交っていましたが、妻の姿を見つけることはできません。
かすかにでも妻に似た人がいないか、妻の声に似た声でも聞こえはしないかと思ってしまいます。そんな思いは叶えられるはずもありません。
ただただ妻の名をつぶやき、さまよい歩きました。


 万葉集の長歌の表現には、どんな口語訳を読んでも理解できない部分がある。枕詞などは、説明されればされるほど、歌が伝える内容をつかめなくなる場合もある。
 歴史的な背景は、歌の理解を深める場合もあるが、諸説あり、現在では推測の域を出ないものもある。「妻問い」もその婚姻形態は理解できても、感覚は現代人には理解は難しい。
 原文に忠実に現代文にしようとすれば、どうしても現代文の文脈にずれが出てくる。
 わかるところだけを、わかりやすく受け取ろうと思っている。

168

ひさかたの 天見るごとく 仰ぎ見し 皇子の御門の 荒れまく惜しも
ひさかたの あめみるごとく あうぎみし みこのみかどの あれまくおしも

皇子がお元気だったときには、皇子を敬い慕う人々がたくさん宮殿に集まっていた。
そのころは皇子の宮殿に行くのが楽しみで、宮殿が近づくと、仰ぎ見たものだ。
そのときは、空を見上げるような気持ちになれた。
皇子が亡くなってからは、建物はあっても人々の出入りも少なく荒れていくのが分かる。
なんとも惜しい。


169

あかねさす 日は照らせれど ぬばたまの 夜渡る月の 隠らく惜しも
あかねさす ひはてらせれど ぬばたまの よわたるつきの かくらくおしも

太陽が昇り、月は隠れる。
それは定めだが、夜空の月が隠れてしまうのは、惜しい。
皇子がこの世にいなくなっても、天皇の治世は続き、政治は滞ることなく行われる。
だが、亡き皇子のことを思い出すと、残念で悔やまれてならない。


170

島の宮 勾の池の 放ち鳥 人目に恋ひて 池に潜かず
しまのみや まがりのいけの はなちどり ひとめにこいて いけにかづかず


まがりの池に放されている水鳥は水に潜ろうとしない。
水鳥までも皇子の死を悲しんでいる。
あまりの悲しみに、水鳥なのに水に潜ることさえしなくなっている。


 皇子の死を悲しみ弔う気持ちだけでないものを感じる。皇子の人柄と力量を尊敬し、期待していた人たちの落胆ぶりが表現されているように感じる。
 169は、当時の政権への批判さえ含まれているととれる。

135

つのさはふ 石見の海の 言さへく 辛の崎なる
つのさわう いわみのうみの ことさえく からのさきなる

いくりにそ 深海松生ふる 荒磯にそ 玉藻は生ふる
いくりにそ ふかみるおうる ありそにそ たまもはおうる

玉藻なす なびき寝し児を 深海松の 深めて思へど
たまもなす なびきねしこを ふかみるの ふかめておもえど

さ寝し夜は いくだもあらず 延ふつたの 別れし来れば
さねしよは いくだもあらず はうつたの わかれしくれば

肝向かふ 心を痛み 思ひつつ かへり見すれど
きもむかう こころをいたみ おもいつつ かえりみすれど

大船の 渡りの山の もみち葉の 散りのまがひに
おおぶねの わたりのやまの もみちばの ちりのまがいに

妹が袖 さやにも見えず 妻隠る 屋上の山の
いもがそで さやにもみえず つまごもる やがみのやまの

雲間より 渡らふ月の 惜しけども 隠らひ来れば 
くもまより わたらうつきの おしけども わたらいくれば

天伝ふ 入日さしぬれ ますらをと 思へる我も 
あまづたう いりひさしぬれ ますらおと おもえるあれも

しきたへの 衣の袖は 通りて濡れぬ
しきたえの ころものそでは とおりてぬれぬ


家に残してきた妻と過ごした日数は、私にとって十分な長さではありません。
もっともっといっしょにいたいと思い、妻との別れが切なくてなりませんでした。
家を出てからは、何度も何度も妻の姿を求めて振り返って見たのです。
山道にさしかかり、紅葉が散るとその散る葉に妻の家の方がさえぎられてしまいました。
やがて、妻の家の方もすっかり見えなくなって、夕日も落ちてきました。
普段は涙など見せない私ですが、この時ばかりは着物の袖が濡れ通るほどでした。

 妻との別れを惜しむ表現と、家がだんだんと遠ざかる描写がなんとも滑らかに続いていると感じる。


136

青駒が 足掻きを速み 雲居にそ 妹があたりを 過ぎて来にける
あおこまが あがきをはやみ くもいにそ いもがあたりを すぎてきにける



旅に出ても思うのは残してきた妻のことばかりだ。
乗る馬の足が速く、家はもう遠くになってしまった。
妻のいる所からどんどん離れてしまう。


137

秋山に 落つるもみち葉 しましくは な散りまがひそ 妹があたり見む
あきやまに おつるもみちば しましくは なちりまがいそ いもがあたりみん



秋山にもみじ葉が散っている。
もみじ葉よ、しばらくは散らないでくれ。
遠くに見える妻の家の辺りを、さえぎられることなく見ていたいから。

 別れてこなくてはならない事情にあればこそ、残してきた妻への思いが強いのであろう。別れの描写が文字ではなく、音から伝わってくる。

柿本朝臣人麻呂、石見国より妻を別れて上り來る時の歌二首 併せて短歌
かきのもとのあそみひとまろ、いわみのくにより つまをわかれて のぼりくるときのうたにしゅ あわせてたんか

柿本人麻呂が、石見の国に妻を置いて、都に戻った時に作った歌二首。長歌とともに作った短歌。

131

石見の海 角の浦廻を 浦なしと 人こそ見らめ
いわみのうみ つののうらみを うらなしと ひとこそみらめ

潟なしと 人こそ見らめ よしゑやし 浦はなくとも よしゑやし 潟はなくとも 
かたなしと ひとこそみらめ よしえやし うらはなくとも よしえやし かたはなくとも

いさなとり 海辺をさして にきたづの 荒磯の上に
いさなとり うみへをさして にきたずの ありそのうえに

か青く生ふる 玉藻沖つ藻 朝はふる 風こそ寄せめ 夕はふる 波こそ來寄れ
かあおくおうる たまもおきつも あさはうる かぜこそよせめ ゆうはうる なみこそきよれ

波のむた か寄りかく寄る 玉藻なす 寄り寝し妹を 露霜の 置きてし來れば
なみのむた かよりかくよる たまもなす よりねしいもを つゆしもの おきてしくれば

この道の 八十隈ごとに 万度 かへり見すれど いや遠に 里は離りぬ
このみちの やそくまごとに よろずたび かえりみすれど いやとおに さとはさかりぬ

いや高に 山も越え來ぬ 夏草の 思ひしなえて 偲ふらむ 妹が門見む なびけこの山
いやたかに やまもこえきぬ なつくさの おもいしなえて しのうらん いもがかどみん なびけこのやま 


石見の地は、都の人々にはなにかにつけて評判がよくありません。
石見には、波の静かな湾も、船の出入りによい入り江もないと言われます。
しかし、実際に暮らしてみますと、石見ならではのよい所があります。
朝夕の海風が心地よく吹き、荒々しい磯からは、海藻が波に揺らめく様子が見え、かの海ならではの風景が広がっています。
その上、私は、石見ですばらしい女性に出会い、妻にしました。
彼女は、情が深く、私に細やかに尽くしてくれます。
ですから、この度の私の上京でも、妻を置いてきたのが心残りでなりません。
都までの旅の途中も、思い出すのは妻のことばかりです。
彼女の方は、私が一刻も早く石見にまた来るようにと、待っているにちがいありません。 
久しぶりに都に戻った今も、できるなら妻の姿を見、声を聞きたいとばかり思っています。


132

石見のや 高角山の 木の間より 我が振る袖を 妹見つらむか
いわみのや たかつのやまの このまより あがふるそでを いもみつらんか

妻に見送られて石見を出発し、もう高角山まで来てしまった。
この山を越えると、妻のいる所もすっかり見えなくなってしまう。
妻の姿が見える距離ではないが、せめて想いが届けと、木の間越しに手を振った。
妻に私のこの想いが届くことを願いながら。


133

笹の葉は み山もさやに さやげども 我は妹思う 別れ来ぬれば
ささのはは みやまもさやに さやげども あれはいもおもう わかれきぬれば


サヤサヤサヤ、山中に笹の葉のさやぎが聞こえる。
サヤサヤ、さやぐ音をいくら聞いても、サヤサヤ、想うことは妻のことだけ。
妻のいる地がだんだん遠のく、別れて来たことが、サヤサヤサヤ、心に沁みる。

 人麻呂は、この長歌と短歌を、宮廷で披露している。人麻呂が、石見に赴任させられ、今回の帰京が一時的なものであることを、宮廷人達は知っている。
 現代でいえば、左遷された者が本社に出張で戻っているといった状況だ。従って、左遷先の石見の良さを言っているのは、人麻呂の強がりでもある。
 しかし、その強がりも、石見で得た妻のことになると、急に真実を感じる。この女性、石見の妻に対する人麻呂の想いは、強く具体的だ。現代の結婚観とは異なるが、ピッタリと相性があったパートナーであると感じた。
 
 こういう内容の歌が、古典として残り続けるのは、希望しない地へ赴任せざるをえなかった者の思いも含めて、共感を呼ぶものがいつの時代にもある、と受け取った。

※この長歌と短歌からの私の想像であり、想像の根拠はない。

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