万葉集のかたわらにキーボード

記事は、原文に忠実な現代語訳や学問的な解釈ではありません。 私なりにとらえた歌の意味や、歌から思い浮かぶことを書いています。

万葉集 巻二 95 内大臣藤原卿(鎌足)が采女の安見児を娶った時に作った歌一首

われはもや 安見児得たり 皆人の 得がてにすといふ 安見児得たり
われはもや やすみこえたり みなひとの えがてにすという やすみこえたり

<私が考えた歌の意味>
私は安見児を妻として迎えた。
皆が、妻にするのは難しいだろう、と言っていたその安見児を妻にしたのだ。

<歌の感想>
 表現は直截だ。だが、妻を迎えた喜びだけでなく、自分の力を周囲に誇る様子も伝わってくる。相聞の短歌には、このような政治的とも言えそうな意図の作もある。

石川啄木『一握の砂』「我を愛する歌」 より

一隊の兵を見送りて
かなしかり
何(なに)ぞ彼等のうれひ無げなる

<私が考えた歌の意味>
隊列を組んで歩く兵隊とすれ違い、見送った。
かなしいことだ。
どうして、彼らはあんなに憂いのない様子でいられるのだろう。

<歌の感想>
 戦争に対する作者の思想が表現されているとは感じられない。
 命令されるままに、無表情、無感情に行軍する兵士たちへの啄木の感覚が、「かなしかり」に込められていると思う。

石川啄木『一握の砂』「我を愛する歌」 より

死にたくてならぬ時あり
はばかりに人目を避けて
怖(こは)き顔する

<私の想像を加えた歌の意味>
絶望することがあったわけではなかった。
いつもと変わらず周りは嫌な人ばかりだ。
相変わらず暮らしは貧しい。
死にたくてならない時がある。
だが、死ねもしない。
そんな時は、便所に入って、誰もいないのを確かめる。
そして、便所の壁をにらみつけ、怖い顔をする。
便所から出たときは、またいつもの顔だ。

石川啄木『一握の砂』「我を愛する歌」 より

垢じみし袷(あはせ)の襟よ
かなしくも
ふるさとの胡桃(くるみ)焼くるにほひす

<私が考えた歌の意味>
垢に汚れた袷の襟の匂いが、故郷でくるみを焼いた匂いと重なった。
汚れた袷の匂いから、ふるさとを思い出すなんて、かなしいことだ。

<歌の感想>
 日常の臭覚の連想が表現されている。「かなしくも」からは、今の生活は貧しいし、故郷にも良い思い出は少なかったという作者の思いが伝わってくる。「かなしい」という語が強い感情ではなく、感傷的な雰囲気を生み出していると思う。

石川啄木『一握の砂』「我を愛する歌」 より

遠方(をちかた)に電話の鈴(りん)の鳴るごとく
今日(けふ)も耳鳴る
かなしき日かな

<私が考えた歌の意味>
どこか遠くで、電話のベルが鳴っているような音の耳鳴りがする。
そんな耳鳴りのする日はかなしい日だ。

<歌の感想>
 「こつこつと空地(あきち)に石をきざむ音耳につき来(き)ぬ家に入るまで」につながる聴覚が表現されている。「東海の小島の磯の白砂にわれ泣きぬれて蟹とたはむる」のような動作の表現とは、目の付け所が違っていると感じる。

石川啄木『一握の砂』「我を愛する歌」 より

かなしくも
頭のなかに崖ありて
日毎に土のくづるるごとし

<私が考えた歌の意味>
かなしいことに、頭の中に崖があり、一日毎にその崖の土が崩れていくような気がする。

<私の想像を加えた歌の意味>
もろい地盤の崖がある。
崖の土は毎日少しずつ崩れていく。
いつか崩壊しそうな崖は、私の頭の中にある。
かなしいことに、崩れゆく崖を頭から拭い去ることができない。

<歌の感想>
 比喩というよりは、思い浮かんでいる景色を感じる。かなしいことがあったというのではなく、このようなイメージを持ち続けることを「かなしくも」と表現している。さらに、イメージだけでなく、そのイメージをもつ自己を表現しているので、視点は複雑だ。

石川啄木『一握の砂』「我を愛する歌」 より

こつこつと空地(あきち)に石をきざむ音
耳につき来(き)ぬ
家に入るまで

<私が考えた歌の意味>
空き地で石をきざんでいる音がしている。
コツコツと、その音が耳につく。
家の中に入るまで、その音が耳についてくる。

<歌の感想>
 日常の断片を正確に描いているように感じる。「こつこつと」はそれほど個性的と言えないし、「家に入るまで」も特別な効果をあげてはいない。だが、平凡になりそうな作なのに平凡になってはいない不思議さがある。

石川啄木『一握の砂』「我を愛する歌」 より

ある朝のかなしき夢のさめぎはに
鼻に入り来(き)し
味噌を煮る香(か)よ

<私が考えた歌の意味>
ある朝の悲しい夢のさめぎわのことだった。
夢から覚めるか覚めないかのときに、香りを感じた。
味噌を煮る香りだった。

<私の想像を加えた歌の意味>
悲しい夢の覚め際に感じたのは味噌汁の香りだった。
そういう朝があった。
あの時の味噌を煮る香りが今でも残っている。

<歌の感想>
 悲しい夢から覚めてホッとしているのでも、朝食が準備されていることに心を満たされたというのでもない。また、今日も平凡な一日が始まるという倦怠感を表現しているのでもあるまい。
 「ある朝」の「香」が印象に残っているだけなのであろう。感情や気分から切り離された感覚が描かれている。

石川啄木『一握の砂』「我を愛する歌」 より

うぬ惚(ぼ)るる友に
合槌(あひづち)うちてゐぬ
施与(ほどこし)をするごとき心に

<私が考えた歌の意味>
うぬぼれて、自慢話をする友人に相づちをうっている。
まるで、物乞いに施しをするような心で。

<歌の感想>
 分かりやすいし、こういうこともあるだろうと思わせられる。友の自惚れを非難しているのではなく、施しをするごとき自分の心を嫌悪していることを感じる。

石川啄木『一握の砂』「我を愛する歌」 より

大いなる水晶の玉を
ひとつ欲(ほ)し
それにむかひて物を思はむ


<私が考えた歌の意味>
大きな水晶の玉をひとつ欲しい。
それに向かって考え事をしたいと思う。

<私の想像を加えた歌の意味>
大きな水晶の玉が一つ欲しい。
水晶の玉は、冷たく輝き、さまざまな色を見せる。
水晶の玉は、鉱物なのに手に微妙な感触を残す。
物言わぬ水晶の玉に向かい、思いを深めてみよう。
今までとは異なる思想をえるかもしれないから。

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