万葉集のかたわらにキーボード

記事は、原文に忠実な現代語訳や学問的な解釈ではありません。私なりにとらえた歌の意味や、歌から思い浮かぶことを書いています。

みだれ髪 蓮の花船 与謝野晶子


鶯に朝寒からぬ京の山おち椿ふむ人むつまじき

<私の想像を加えた歌の意味>
鶯の鳴き声が京の山に聞こえている。
早朝の山なのに寒さはなく、春の朝だ。
椿の花が散った山路が続く。その散った椿を踏み二人連れが歩いてくる。
二人は夫婦だろうか、恋人だろうか、仲睦まじく連れ添っている。

<歌の感想>
 当然といえば当然だが、万葉集や西行の鶯の歌とくらべると新しい感覚だ。どこが新しいとは私にはまだわからない。
 与謝野晶子の短歌では、「おち椿ふむ人」のことを見ているのだが、その情景を描いているだけではない。その二人を見て「むつまじき」と感じている作者の存在がはっきりと伝わってくる。このような作者個人の感覚こそが作品の中心であるところに、万葉集の歌との違いを感じる。
 一方で、鶯の鳴き声がもたらす季節感は、万葉集とも西行とも明確につながっていると感じる。

山家集 30 7010

春のほどは 我がすむ庵の 友に成りて 古巣な出でそ 谷の鶯

<口語訳>
谷の鶯よ、春のうちはこの谷の古巣を出ないでくださいよ。
私が住む庵のそばに、友としていてくださいね。

<意訳>
春になり鶯もしきりに鳴いているのに、私の庵には訪れる人もいない。
谷の鶯よ、春のうちは私の友として古巣にとどまり、谷を出ていかないでくれ。
春を一緒に味わう友はおまえしかいないのだから。

山家集 27 7007

すみける谷に、鶯の聲せずなりければ

古巣うとく 谷の鶯 なりければ 我やかはりて なかんとすらん

<口語訳>
谷の鶯が古巣に戻ることがなくなったら、この谷では鶯の声が聞こえなくなるだろう。
そうなったら私が鶯に代って泣くようになるだろう。

<意訳>
私が住んでいる谷で盛んに鳴いている鶯ももうすぐ古巣をあとにするだろう。
鶯が古巣へ戻らなくなったら、鶯の鳴き声に代わって、私が泣き声をあげることにしよう。
鶯のいる今はよいが、そのうち鶯もいなくなると、この谷も寂しいものになるだろうから。


 西行の庵では、鶯の鳴き声が盛んだった。その鳴き声もだんだんに間遠になってきた。花の時期にたとえれば、花の満開が終わり、散り始めるころと似た感じを表現していると感じる。
 同時に、自分の庵を訪れる人も減ってきたことを表現しているようにも感じる。「我やかはりてなかんとすらん」にはそれを思わせるものがある。

巻五 841

鶯の 聲聞くなべに 梅の花 吾家の園に 咲きて散る見ゆ


<口語訳>
鶯の鳴く声を聞きながら、我が庭に梅の花が咲いて散っていくのを見る。

<意訳>
鶯の鳴き声の聞こえる春。
我が家の庭に、梅の花が咲き、そして、散っていく。
鶯を聞き、梅を眺めて春の日を過ごす。


 現代から見ると、しごく当たり前で、ただ説明をしているだけの短歌だ。それだけに、単純で、春の代表的な風物を並べて描いている。こういう作品によって、春を表す題材が普遍化していくのかもしれない。
 どこにも特徴がないようでいながら、たっぷりと春を味わっている情感が伝わってくる。

巻五 842

わが宿の 梅の下枝に 遊びつつ 鶯鳴くも 散らまく惜しみ

<口語訳>
私の家の庭の梅の下枝で鶯が遊びながら鳴いている。
鶯も梅の花が散るのを惜しんで鳴いている。

<意訳>
我が家の庭に、梅の花が散っていく。
梅の木の低い枝に、鶯が降りてきた。
鶯は枝の上で遊び、鳴いている。
鳴く声が梅の散るのを惜しんでいる。


 この短歌では、鶯の動きまで描かれている。散りゆく梅の花、よく見える低い枝で遊ぶように動きながら鳴く鶯、しかもそこは我が家の庭なのだ。
 これは、実景を見て感動したというよりは、想像上の取り合わせであろう。描かれているものは、絵ではなく、動画だと言えそうだ。

824

梅の花 散らまく惜しみ わが園の 竹の林に  鶯鳴くも

<口語訳>
梅の花が散るのを惜しんで、私の庭園の竹の林で鶯が鳴いている。

<意訳>
もう梅の花が散っていく。
咲くのを待ちわびていた梅の花が。
私の庭の竹の林から鶯の鳴き声が聞こえてくる。
鶯のこの鳴き声は、梅の花の終わりを惜しむものだ。


 「梅花の歌三十二首」の中にある。近現代であれば、歌会のような雰囲気なのだろうか。それよりは、宴会の余興のようなものか。余興と言っても、目的は短歌を作り、それを披露しあうことであったようだ。
 この時代にも、梅の花と鶯は、ありきたりの題材であり、鶯を擬人化する手法も目新しいものでなかったと思われる。それだけに、いかに題材を組み合わせ、無理なくまとめ上げるかに、工夫を凝らしたのであろう。
 題材と発想は、月並みである。だが、題材と発想が平凡であっても、毎年毎年多くの人々の関心を引き、そこに感動を覚える自然の営みであり、何度表現しても味わい深いものであると思う。

 梅の花が散る、鶯の鳴き声、竹の林、西行の歌(山家集 26)との共通項は多い。

山家集 26   7006

鶯の 春さめざめと なきゐたる 竹のしづくや なみだなるらん

<口語訳>
鶯が春雨の中でさめざめと鳴いている。
春雨に濡れる竹の滴は、鶯の涙であろう。

<意訳>
春雨が滴となって竹を濡らしている。
鶯の鳴き声が、春雨の中で、聞こえてくる。
この竹の滴は、鶯がさめざめと泣くその涙と思えてならない。


 竹から落ちる滴、竹の表面につく滴、その滴のことだけを表現しているのではない。もちろん、滴を鶯の涙と信じているのでもない。
 春雨の「さめ」と、「さめざめと」の「さめ」、鶯が「鳴く」と、「泣く」の連想を楽しんでいることもあるが、それだけが目的の和歌でもない。
 聴覚と視覚、さらに竹の滴を鶯の涙に見立てた空想、なかなかに複雑な構成だ。音も景色も感じられ、それらが空想的な色合いを帯びていておもしろい。

山家集 25 7005

閑中鶯
鶯の こゑぞ霞に 洩れてくる 人めともしき 春の山ざと

<口語訳>
鶯の声だけが霞の中から洩れてくる。
人の行き来もまれな春の山里。

<意訳>
春の山里は人の行き来もなく、春霞がかかっている。
柔らかな霞の景色の中で、鶯の鳴き声だけが聞こえてきた。
姿ははっきりせず鳴く声だけの鶯、静かな山里の春だ。


 いきなり意訳を書くと、和歌のどこに注目したかがあいまいになるような気がし出したので、まずは自分なりの口語訳を書き、その後意訳を考えてみた。

石川啄木『一握の砂』「我を愛する歌」 より

こころよく
我にはたらく仕事あれ
それを仕遂げて死なむと思ふ

<口語訳>
こころよく
働く仕事が私にあってほしい
その仕事を成し遂げてから死にたいと思う

<意訳>
職に就いて稼げと皆が言う。
私も仕事を見つけて、命をかけてその仕事をやり遂げたい。
だが、思う存分に打ち込んでやれるような職業がどこにあるというのか。
食うためにいやいや働くような仕事しかないではないか。

 愚痴や言い訳ではない。やり遂げたい仕事、働くことを心から喜べるような職業、そのような働き方がなくなっていることを描いていると思う。

石川啄木『一握の砂』「我を愛する歌」 より

いと暗き
穴に心を吸はれゆくごとく思ひて
つかれて眠る

<口語訳>
非常に暗い
穴に心を吸われるような思いがして
疲れて眠ってしまう

<意訳>
身も心も重く疲れた。
どこまでも暗い穴に心が吸い込まれていく。
暗く深く落下しながら今日も疲れて眠る。

石川啄木『一握の砂』「我を愛する歌」 より

※前回の記事に書き加えた。

何処(いづく)やらかすかに虫のなくごとき
こころ細さを
今日もおぼゆる


<口語訳>
どこかでかすかに虫の泣くような
心細さを
今日も感じる

<意訳>
わけもなく不安につつまれる。
どこかでかすかに虫が鳴いているように心の隅に心細さが存在し続ける。
今日もまたなんの理由もなく、いつもの心細さにつつまれる。

 フッと心細くなる。理由のない不安を時折感じる。そういう感覚ではない。
 いつもどこかで小さく聞こえ続ける執拗な不安感を描いている。


※石川啄木の短歌に口語訳というのも変であるが、啄木の短歌が文語で書かれているのは間違いない。そこで、まずは口語に訳してみた。それを<口語訳>として書いた。次に、短歌から受け取ったことを<意訳>として書いてみた。

218

楽浪の 志賀津の児らが 罷り道の 川瀨の道を 見ればさぶしも
ささなみの しがつのこらが まかりじの かわせのみちを みればさぶしも

この川沿いの道は、采女(うねめ)の葬列が通った道だ。
あまりにも若く、あまりにも突然の死だった。
川沿いの道を見るだけで、胸がいっぱいになる。

 「この歌から采女の入水死を推測することは不自然ではない」という注釈もある。そう取りたい気もするが、長歌217からは、そこまでのことは感じられない。


219

そら数ふ 大津の児が 逢ひし日に 凡に見しくは 今ぞ悔しき
そらかぞう おおつのこらが あいしひに おおにみしくは いまぞくやしき

亡くなった采女に生前逢ったときのことを思い出す。
こんなに突然に亡くなるとは予期せぬことだった。
それでも、あの時にもっと彼女のことを気にかければよかったと悔やまれてならない。

 采女の呼び方が、長歌と短歌のそれぞれで違っているが、217、218、219の采女を同一人と受け取り、意訳した。
 この長歌と短歌は、それぞれに調べは美しいが、理解は難しい作だ。
 長歌は、人麻呂とはほとんどつながりのない一人の采女の死に際しての儀礼的な作と考えることもできる。そうであるなら、采女の夫から依頼されたものという説が当たっている。
 しかし、短歌では夫の悲しみを察している表現はない。むしろ人麻呂自身の思いが伝わってくる。短歌の采女の死を入水死として味わいたいほどである。
 私は、根拠のない想像を次のようにしてみた。
 当時の宮廷では、若い采女が突然に亡くなること(自死も含めて)が複数回あった。そして、それは当然話題になるし、その死を弔う和歌がその都度詠まれて、宮廷で披露された。それらの作品群の中から特色のあるものが万葉集に残った。

万葉集 巻二 217


吉備津采女が死にし時に、柿本朝臣人麻呂が作る歌一首
きびつのうねめがしにしときに、かきのもとのあそみひとまろがつくるうたいっしゅ

天皇にお仕えをしていた吉備津のうねめの死に際して、柿本人麻呂が作った歌一首

秋山の したへる妹
あきやまの したえるいも

なよ竹の とをよる児らは
なよたけの とおよるこらは

いかさまに 思ひ居れか
いかさまに おもいおれか

拷縄の 長き命を
たくなわの ながきいのちを

露こそば 朝に置きて
つゆこそば あしたにおきて

夕には 消ゆといへ
ゆうべには きゆといえ

霧こそば 夕に立ちて
きりこそば ゆうにたちて

朝には 失すといへ
あしたには うすといえ

梓弓 音聞く我も
あずさゆみ おときくわれも

凡に見し こと悔しきを
おおにみし ことくやしきを

しきたへの 手枕まきて
しきたえの たまくらまきて

剣太刀 身に副へ寝けむ
つるぎたち みにそえねけん

若草の その夫の子は
わかくさの そのつまのこは

さぶしみか 思ひて寝らむ
さぶしみか おもいてねらん

悔しみか 思ひ恋ふらむ
くやしみか おもいこうらん

時ならず 過ぎにし児らが
ときならず すぎにしこらが

朝露のごと 夕霧のごと
あさつゆのごと ゆうぎりのごと



<私の想像を加えた歌の意味>
身のこなしが柔らかく、美しかったあの吉備津の采女がまだ若いのに亡くなりました。
人の命は、朝露のごとくに、夕霧のごとくに、はなかなく消えるものだと言いますが、あまりにもあっけなく亡くなってしまいました。
若く美しかった吉備津の采女が亡くなったと知らされて、人の命がはかないものであることをつくづく感じます。
もっとお会いをしたりお話をしたりしておけばよかったと、後悔の思いにかられます。
宮廷で一緒だっただけの私でさえも、このように感じるのですから、共に暮らした夫の君は今でも彼女を恋い慕い、彼女の死をどれほど悔しく思っているか、察することができます。
突然に妻を失った夫の君は、彼女ことをまるで朝露のような、まるで夕霧のような存在と感じ、さびしい思いでおられることでしょう。

山家集 西行 19 6999

春日野は 年のうちには 雪つみて 春は若菜の 生ふるなりけり

冬の間は雪景色の野原だ。
その原が、春になると一面に若菜が生え、若菜摘みに皆が集まる。
春日野は、冬から春への変化をはっきりと見せてくれる所だ。


 春を迎える前の雪景色。雪の下で春へ向けて動く自然の営み。春になった春日野の景色。春を迎えて行われる若菜摘みの賑わい。
 たくさんの要素が、一首の中に込められている。短くて、美しいリズムの中で、これら多くのことを味わうことができる。
 作者はいったいどこで何を見ているのだろうか。和歌を作ったのは年のうちなのか春なのか。こういう詮索は意味がないようにさえ思える。

山家集 18 6998

今日はただ 思ひもよらで 帰りなむ 雪つむ野辺の 若菜なりけり

春は来ているだろうかと、野原に出かけてみた。
野原はまだ雪が積もっていて、春の気配は少しも感じられない。
今日は、この野原で若菜を摘むことなど思いもよらない。

 今日は雪の積もっている野原だが、間もなく、春の景色に一変するだろうという思いが感じられる。

石川啄木『一握の砂』「我を愛する歌」 より

こみ合へる電車の隅に
ちぢこまる
ゆふべゆうべの我のいとしさ
 

<私の想像を加えた歌の意味>
夕方の帰宅時の電車は、いつも混み合う。
今日一日の仕事を終えて、その電車に乗り込む。
電車の中は、私と同じような疲れた顔の勤め人でいっぱいだ。
疲れて無言の人々を乗せて、電車は夕方の街を走る。
昨日の夕方も、今日も、そして明日も、同じように満員の電車に身を縮めて揺られているのだ。
そんな自分をかわいそうに思う。

<歌の感想>
 勤め人の実際を鋭く表現していると感じる。ここには、仕事を終えた満足感や家に戻る安堵感はなく、都市部の労働者の悲哀がある。
 この作品は、歌集の小題「我を愛する歌」に一致するものの一つだと思う。その意味でも、重要な作だと感じた。

※以前の記事を改めた。(2016/11/20)

山家集 5 6984

門ごとに 立つる小松に かざられて 宿てふ宿に 春はきにけり


家々に松が飾られている。
町中の家々が春を迎えている。


 現代とは暦が違う。旧暦を考えながら味わう必要がある。「小松」は門松のようなものとの解説もあるが、よくは分からない。ただ、家並が続き、その家ごとに新春を迎える飾りがある風景は想像できる。
 昭和時代にはプラスチック製であっても正月飾りが多くの家々に飾られていた。私が子どもの頃は、銀行やデパートには立派な門松も飾られていた。年賀状や雑煮もそのうちに過去のものになりそうだ。

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