万葉集のかたわらにキーボード

記事は、原文に忠実な現代語訳や学問的な解釈ではありません。私なりにとらえた歌の意味や、歌から思い浮かぶことを書いています。

石川啄木『一握の砂』「我を愛する歌」 より

いと暗き
穴に心を吸はれゆくごとく思ひて
つかれて眠る

<口語訳>
非常に暗い
穴に心を吸われるような思いがして
疲れて眠ってしまう

<意訳>
身も心も重く疲れた。
どこまでも暗い穴に心が吸い込まれていく。
暗く深く落下しながら今日も疲れて眠る。

石川啄木『一握の砂』「我を愛する歌」 より

※前回の記事に書き加えた。

何処(いづく)やらかすかに虫のなくごとき
こころ細さを
今日もおぼゆる


<口語訳>
どこかでかすかに虫の泣くような
心細さを
今日も感じる

<意訳>
わけもなく不安につつまれる。
どこかでかすかに虫が鳴いているように心の隅に心細さが存在し続ける。
今日もまたなんの理由もなく、いつもの心細さにつつまれる。

 フッと心細くなる。理由のない不安を時折感じる。そういう感覚ではない。
 いつもどこかで小さく聞こえ続ける執拗な不安感を描いている。


※石川啄木の短歌に口語訳というのも変であるが、啄木の短歌が文語で書かれているのは間違いない。そこで、まずは口語に訳してみた。それを<口語訳>として書いた。次に、短歌から受け取ったことを<意訳>として書いてみた。

218

楽浪の 志賀津の児らが 罷り道の 川瀨の道を 見ればさぶしも
ささなみの しがつのこらが まかりじの かわせのみちを みればさぶしも

この川沿いの道は、采女(うねめ)の葬列が通った道だ。
あまりにも若く、あまりにも突然の死だった。
川沿いの道を見るだけで、胸がいっぱいになる。

 「この歌から采女の入水死を推測することは不自然ではない」という注釈もある。そう取りたい気もするが、長歌217からは、そこまでのことは感じられない。


219

そら数ふ 大津の児が 逢ひし日に 凡に見しくは 今ぞ悔しき
そらかぞう おおつのこらが あいしひに おおにみしくは いまぞくやしき

亡くなった采女に生前逢ったときのことを思い出す。
こんなに突然に亡くなるとは予期せぬことだった。
それでも、あの時にもっと彼女のことを気にかければよかったと悔やまれてならない。

 采女の呼び方が、長歌と短歌のそれぞれで違っているが、217、218、219の采女を同一人と受け取り、意訳した。
 この長歌と短歌は、それぞれに調べは美しいが、理解は難しい作だ。
 長歌は、人麻呂とはほとんどつながりのない一人の采女の死に際しての儀礼的な作と考えることもできる。そうであるなら、采女の夫から依頼されたものという説が当たっている。
 しかし、短歌では夫の悲しみを察している表現はない。むしろ人麻呂自身の思いが伝わってくる。短歌の采女の死を入水死として味わいたいほどである。
 私は、根拠のない想像を次のようにしてみた。
 当時の宮廷では、若い采女が突然に亡くなること(自死も含めて)が複数回あった。そして、それは当然話題になるし、その死を弔う和歌がその都度詠まれて、宮廷で披露された。それらの作品群の中から特色のあるものが万葉集に残った。

万葉集 巻二 217


吉備津采女が死にし時に、柿本朝臣人麻呂が作る歌一首
きびつのうねめがしにしときに、かきのもとのあそみひとまろがつくるうたいっしゅ

天皇にお仕えをしていた吉備津のうねめの死に際して、柿本人麻呂が作った歌一首

秋山の したへる妹
あきやまの したえるいも

なよ竹の とをよる児らは
なよたけの とおよるこらは

いかさまに 思ひ居れか
いかさまに おもいおれか

拷縄の 長き命を
たくなわの ながきいのちを

露こそば 朝に置きて
つゆこそば あしたにおきて

夕には 消ゆといへ
ゆうべには きゆといえ

霧こそば 夕に立ちて
きりこそば ゆうにたちて

朝には 失すといへ
あしたには うすといえ

梓弓 音聞く我も
あずさゆみ おときくわれも

凡に見し こと悔しきを
おおにみし ことくやしきを

しきたへの 手枕まきて
しきたえの たまくらまきて

剣太刀 身に副へ寝けむ
つるぎたち みにそえねけん

若草の その夫の子は
わかくさの そのつまのこは

さぶしみか 思ひて寝らむ
さぶしみか おもいてねらん

悔しみか 思ひ恋ふらむ
くやしみか おもいこうらん

時ならず 過ぎにし児らが
ときならず すぎにしこらが

朝露のごと 夕霧のごと
あさつゆのごと ゆうぎりのごと



<私の想像を加えた歌の意味>
身のこなしが柔らかく、美しかったあの吉備津の采女がまだ若いのに亡くなりました。
人の命は、朝露のごとくに、夕霧のごとくに、はなかなく消えるものだと言いますが、あまりにもあっけなく亡くなってしまいました。
若く美しかった吉備津の采女が亡くなったと知らされて、人の命がはかないものであることをつくづく感じます。
もっとお会いをしたりお話をしたりしておけばよかったと、後悔の思いにかられます。
宮廷で一緒だっただけの私でさえも、このように感じるのですから、共に暮らした夫の君は今でも彼女を恋い慕い、彼女の死をどれほど悔しく思っているか、察することができます。
突然に妻を失った夫の君は、彼女ことをまるで朝露のような、まるで夕霧のような存在と感じ、さびしい思いでおられることでしょう。

山家集 西行 19 6999

春日野は 年のうちには 雪つみて 春は若菜の 生ふるなりけり

冬の間は雪景色の野原だ。
その原が、春になると一面に若菜が生え、若菜摘みに皆が集まる。
春日野は、冬から春への変化をはっきりと見せてくれる所だ。


 春を迎える前の雪景色。雪の下で春へ向けて動く自然の営み。春になった春日野の景色。春を迎えて行われる若菜摘みの賑わい。
 たくさんの要素が、一首の中に込められている。短くて、美しいリズムの中で、これら多くのことを味わうことができる。
 作者はいったいどこで何を見ているのだろうか。和歌を作ったのは年のうちなのか春なのか。こういう詮索は意味がないようにさえ思える。

山家集 18 6998

今日はただ 思ひもよらで 帰りなむ 雪つむ野辺の 若菜なりけり

春は来ているだろうかと、野原に出かけてみた。
野原はまだ雪が積もっていて、春の気配は少しも感じられない。
今日は、この野原で若菜を摘むことなど思いもよらない。

 今日は雪の積もっている野原だが、間もなく、春の景色に一変するだろうという思いが感じられる。

石川啄木『一握の砂』「我を愛する歌」 より

こみ合へる電車の隅に
ちぢこまる
ゆふべゆうべの我のいとしさ
 

<私の想像を加えた歌の意味>
夕方の帰宅時の電車は、いつも混み合う。
今日一日の仕事を終えて、その電車に乗り込む。
電車の中は、私と同じような疲れた顔の勤め人でいっぱいだ。
疲れて無言の人々を乗せて、電車は夕方の街を走る。
昨日の夕方も、今日も、そして明日も、同じように満員の電車に身を縮めて揺られているのだ。
そんな自分をかわいそうに思う。

<歌の感想>
 勤め人の実際を鋭く表現していると感じる。ここには、仕事を終えた満足感や家に戻る安堵感はなく、都市部の労働者の悲哀がある。
 この作品は、歌集の小題「我を愛する歌」に一致するものの一つだと思う。その意味でも、重要な作だと感じた。

※以前の記事を改めた。(2016/11/20)

山家集 5 6984

門ごとに 立つる小松に かざられて 宿てふ宿に 春はきにけり


家々に松が飾られている。
町中の家々が春を迎えている。


 現代とは暦が違う。旧暦を考えながら味わう必要がある。「小松」は門松のようなものとの解説もあるが、よくは分からない。ただ、家並が続き、その家ごとに新春を迎える飾りがある風景は想像できる。
 昭和時代にはプラスチック製であっても正月飾りが多くの家々に飾られていた。私が子どもの頃は、銀行やデパートには立派な門松も飾られていた。年賀状や雑煮もそのうちに過去のものになりそうだ。

山家集 3 6981

春立つと おもひもあへぬ 朝出に いつしか霞む 音羽山哉

まだ春が来るとは思っていなかった。
朝出かけて山の方を見ると、音羽山に霞が立っている。
春が来た、と感じた。


 自分の家の周りには、春を告げるような景色を見いだせない。でも、暦は春になっている。
 朝に行く所があって、出かける道すがら遠くの山を見る。遠くの音羽山の風景がなんとはなしに春めいて見える。その景色に春の到来を感じ取った、といった気分だろう。
 山が霞んで見える、遠くに春霞が見える、などというのは見る人によって異なる曖昧な現象であろう。その曖昧さ、わずかな変化を表現しているのが、おもしろい。

山家集 2(底本の歌の通し番号)  6980(続国歌大観番号) 
※本文は、日本古典文学大系 山家集 金槐和歌集 岩波書店 によった。ただし、漢字の字体は新しいものに改めた場合もある。

山のはの 霞むけしきに しるきかな けさよりやさは 春の曙

春が来たと、今朝、感じた。
曙の山に霞がかかっている景色に、春を感じとった。


 季節の推移は明らかなものではない。昨日まで冬で、今日からは春だとは言えないものだ。それでいながら、暦に沿って季節の変わり目を感じるし、天候や景色の変化によって新しい季節をとらえている。
 あいまいで緩やかな変化を複合して、ある時にフッと「春になった」と感じる。
 そういう感受の様が表現されていると思う。

 挽歌を続けて読むと、気持ちが重くなる。そこで、西行を読んでみた。気持ちが緩むようだ。現代の私も、同じ時刻、同じような景色に、春を感じる。不思議なものだ。

斉藤茂吉『赤光』「おくに」より


あのやうにかい細りつつ死にし汝(な)があはれになりて居りがてぬかも

あんなに腕も細くなって、死んでいった。
おまえの一生を思うと、たまらない思いが満ちてくる。
なきがらの傍にいるにさえ私には耐えらえない。


この世にも生きたかりしか一念(いちねん)も申さず逝(ゆ)きしよあはれなるかも

もっと生きていたいと思っていただろう。
生きたい、と口にすることなく、おまえは逝ってしまった。
そんなおまえの気持ちを思うことしかできない。


にんげんの現実(うつつ)は悲ししまらくも漂ふごときねむりにゆかむ

生きている人間がなすべきことはいつもと変わらない。
どんなにおまえの死に打ちのめされようと、眠らなければ生きていけない。
現実には眠ってしまう。漂うように浅い眠りであっても。


生きている汝(なれ)がすがたのありありと何に今頃見えてきたるかや

生きているおまえの姿がありありと思い浮かぶ。
なぜ、今、おまえの姿がこんなにはっきりと浮かぶのか。
きっかけもないのに。



 意訳の中では、「あはれ」「悲し」は訳すことができなかった。原文を味わうしかない。


 亡くなった「おくに」本人の悲しみを、作者は自己のもののように感じている。そして、残された自分の辛さを表出している。さらに、亡くなった人へ語りかける気持ちが伝わる。
 短歌は、自己の感情を描くだけでなく、相手へのはたらきかけと交流の役割を担っていると感じさせる。相聞挽歌としてのはたらきは、柿本人麻呂の作品に色濃いが、近代の斉藤茂吉の中にもその意識を感じる。

斉藤茂吉『赤光』「おくに」より

なにか言ひたかりつらむその言(こと)も言へなくなりて汝(なれ)は死にしか

何か言いたいことがあったろう。
その言葉を言うこともできなくなった。
おまえは何かを言い残すこともなく死んでしまった。


これの世に好(す)きななんぢに死にゆかれ生きの命の力なし我(あれ)は

好きなおまえはもうこの世にいない。
おまえに死なれた私は、生きていく力も失くしてしまった。


 長年連れ添った妻を失ったときとは異なる心情を感じる。事情はどうであれ、愛した女性に死なれた作者の心情が伝わる。
 
「生きの命の力なし我は」 大切に思う人の死を突きつけられたときに感じる感覚は、時代を超えて柿本人麻呂の短歌と繋がっている。

216

家に来て 我が屋を見れば 玉床の 外に向きけり 妹が木枕
いえにきて わがやをみれば たまどこの よそにむきけり いもがこまくら


なきがらを葬って家に戻った。
家の中を見渡してもただひっそりしている。
見慣れた妻の枕がいつもと違う方を向いて、残されている。

 古代には亡き人の枕に魂がこもると信じられていた、という解説もある。現代でも遺品には物だけではない何かを感じる。現代人の感覚と万葉集の時代の人々との違いは、それほど大きくはないだろう。亡き人の身の回りの品々から、その人の在りし日が強く浮かび上ってくるのを抑えようとしても抑えられない作者の気持ちが伝わってくる。

212

衾道を 引手の山に 妹を置きて 山道を行けば 生けりともなし
ふすまじを ひきでのやまに いもをおきて やまぢをいけば いけりともなし


 前回の私の意訳がすっきりしないので、もう一度考えてみた。

口語訳・大意の比較

羽交の山に、いとしい人を残して置いて、山路を帰って来ると、生きている元気もない。口訳萬葉集 折口信夫

引出の山に妹の屍を置いて山路を帰ると、生きた心地もない。日本古典文学大系 萬葉集 岩波書店

(衾道を) 引出の山に 妻を置いて その山路を思うと 正気もない。日本古典文学全集 萬葉集 小学館

(衾道を)引出の山に、妻を置いて来て山路を帰って行くと、自分は生きている感じがしない。新日本古典文学大系  萬葉集 岩波書店

再考した私の意訳

妻のなきがらを引出の山に葬って来た。
もう妻のなきがらさえも見ることができない。
家へと戻る山道を歩くわが身はこの世にあるが、生きている感覚がない。

 前回に比べて、今回の訳がよくなりはしなかった。前回の「もう生きる気力もない」は、どうも違う気がしたので、直してみた。

212

衾道を 引手の山に 妹を置きて 山道を行けば 生けりともなし
ふすまじを ひきでのやまに いもをおきて やまぢをいけば いけりともなし


妻のなきがらを葬って、山道を家へと戻る。
家に戻っても、妻のなきがらさえも見ることはできない。
私にはもう生きる気力もない。


 207~216の長歌と短歌のそれぞれの関連について諸説ある。今は、内容の異なる短歌を主に取り上げ、読み進める。

 212まででも、妻の死を悼む心情のあらゆる面が表現されていると感じる。この悲しみは現代人にも受け継がれている。受け継いでいるだけでなく、柿本人麻呂の表現以外には、愛する人の死を受容する術を、現代に生きる私は持っていないと思う。

211

去年見てし 秋の月夜は 照らせれど 相見し妹は いや年離る
こぞみてし あきのつくよは てらせれど あいみしいもは いやとしさかる


今夜は月が美しい。
去年の秋の夜は妻といっしょに月を眺めていた。
月は変わりなく夜空を照らしている。それなのに、いっしょに見た妻はこの世にいない。
時が経てば経つほど、妻と共に過ごした日々が遠いものになっていく。

208

秋山の 黄葉を繁み 惑ひぬる 妹を求めむ 山道知らずも
あきやまの もみぢをしげみ まどいぬる いもをもとめん やまぢしらずも


妻はこの世にもういない。
いや、妻と永遠に会えないなどとは思わない。妻はもみじの山に迷い込んだだけなのだ。
もみじがあまりに繁っているので、すっかり道に迷い戻って来れないだけなのだ。
だが、その妻を探すための道を、私は見つけることができない。


209

もみち葉の 散り行くなへに 玉梓の 使ひを見れば 逢ひし日思ほゆ
もみちばの ちりゆくなえに たまづさの つかいをみれば あいしひおもおゆ


もみじの散りゆくころに私の妻はこの世を去った。
生前の妻が私への手紙を託した使いの人を、たまたま見かけた。
使いの人を見かけたとたんに、妻と逢うことができた日々がありありと思い浮かんできた。


 結婚の形態は現代とは違っていても、互いに求め合って過ごした女性の突然の死に戸惑い悲しむ心情が伝わってくる。
 207の長歌では、行き交う人の中に亡き妻の姿を探してしまう作者の心情が表れている。
 208の短歌では、思い乱れるほどの喪失感を感じる。
 209の短歌では、亡き妻にまつわる人のことから、亡き妻とのありし日を思い出したことが伝わってくる。この心情は、時代を超えて迫ってくる。ただし、208と209は、長歌との関連性で受け取らないと、理解が難しい。

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