万葉集のかたわらにキーボード

記事は、原文に忠実な現代語訳や学問的な解釈ではありません。 私なりにとらえた歌の意味や、歌から思い浮かぶことを書いています。

与謝野晶子 『みだれ髪』 臙脂紫 より

鶯は君が夢よともどきながら緑のとばりそとかかげ見る

<私が考えた歌の意味>
鶯の鳴き声がしたなんて、あなたの夢の中のことでしょう。
なんだかわからない夜中の物音なのだと思いながら、緑のとばりをそっとあげて、外を覗いてみます。

<私の想像を加えた歌の意味>
「鶯の鳴き声がしたよ」あなたが言います。
「この夜なかに鶯が鳴くなんて、それはあなたの夢でしょう。」私が答えます。
夜中の物音がそう聞こえたと思いながら、でも、緑のとばりをそっと開けて外を見ます。
人に知られてはならない二人の夜の出来事。

与謝野晶子 『みだれ髪』 臙脂紫 より

ひと枝の野の梅をらば足りぬべしこれかりそめのかりそめの別れ

<私が考えた歌の意味>
野の梅のひと枝を折るほどのことです。
この別れは、ほんの少しの間のこと。
この別れは、かりそめの別れ。

<私の想像を加えた歌の意味>
梅の枝を一本折ります。
すぐに折れます。
あっけなく折れてしまいます。
ここで、あなたと別れます。
でも、また、あなたに恋するかもしれないし、別の恋が芽生えるかもしれません。
咲いた梅の枝を一本折っても、他の枝には次々に花が咲きます。
今の別離など、かりそめのまたさらにかりそめのこと。

与謝野晶子 『みだれ髪』 臙脂紫 より

ふさひ知らぬ新婦(にいびと)かざすしら萩に今宵の神のそと片笑(かたゑ)みし

<私が考えた歌の意味>
ふさわしくないのに、髪に白萩をかざします。
私は、新婦の気持ちなのです。
不釣り合いに髪を飾ったそんな私のことを、そっと微笑んでいるのですね。
今宵のあなたは。

<歌の感想>
「髪に挿すしら萩に隠したき思い見抜かれている、君の微笑み」チョコレート語訳 みだれ髪 俵万智

 この訳を読んでも、「ふさひ知らぬ」の意味がつかめない。そこで、「ふさふ」「知らぬ」として、「ふさわしくないのに」と解してみたが、自信はない。意味がとれない句はあるが、初々しい女性として振舞おうとするのだが、あなたには、そんな私を見抜かれているという気持ちは伝わってくる。

与謝野晶子 『みだれ髪』 臙脂紫 より

嵯峨の君を歌に仮せなの朝のすさびすねし鏡のわが夏姿

<私が考えた歌の意味>
嵯峨にあなたとともに来たのに、あなたは、歌を作ることに夢中。
昨夜も一緒にいてはくれなかった。
つまらなさをもてあました朝の鏡に、私の姿が映る。
夏の装いのすねた私の姿が。

与謝野晶子 『みだれ髪』 臙脂紫 より

しら壁へ歌ひとつ染めむねがひにて笠はあらざりき二百里の旅

<私が考えた歌の意味>
あなたの部屋の白い壁に、私の歌をひとつ残したい。
そんな願いをもって、はるか二百里の旅に出ます。
あなたが私を迎え入れてくれるかどうか、わからないのに。

与謝野晶子 『みだれ髪』 臙脂紫 より

絵日傘をかなたの岸の草になげわたる小川よ春の水ぬるき

<私が考えた歌の意味>
まず、絵日傘を向こう岸の草の上に投げる。
そして、小川を足が濡れるのもかまわず渡った。
小川の水は、春の陽気で心地よくぬるい。

<私の想像を加えた歌の意味>
もっと歩くと、橋があるけど、うんと遠回りになる。
この場所で、この小川を渡ってしまえ。
小川といっても、飛び越せる流れではない。
足を濡らして、川を数歩だが渡らなければならない。
まずは、差している絵日傘を向こう岸へ勢いよく投げる。
絵日傘は、一瞬空を舞い、向こう岸の草の上にふわりと落ちる。
着物の裾をからめ、流れに足をつけ、渡り切る。
思ったよりも水がぬるい。
春の小川の水のぬるさだ。

石川啄木『一握の砂』「煙」 より

ある年の盆の祭りに
衣(きぬ)貸さむ踊れと言ひし
女を思ふ


<私が考えた歌の意味>
ある年のお盆の祭りのことであった。
盆踊りに着る浴衣を貸すので、あなたも一緒に踊ればよいのにと誘ってくれた女がいた。
あの誘ってくれた女のことを思い出す。

<私の想像を加えた歌の意味>
ある年、盆のころに故郷に戻った。
故郷では、盆踊りが盛んだが、私はもう村の人たちと一緒に踊る気などなかった。
その私に、あなたも一緒に踊るとよいのに、と誘ってくれた女がいた。
知らない仲ではなかったが、特別に親しかった人でもなかった。
浴衣もないし、と誘いを断ると、その人は、それじゃあ浴衣を貸してあげる、とまで言ってくれた。
結局は、断ったのだが、あのときのその女の残念そうな様子を思い出すことがある。
あの人と一緒に踊ればよかったという思いとともに。

<歌の感想>
 啄木にとって、懐かしいのは、故郷の風物だけではない。友だちであり、自分が教えてもらった教師であり、自分が教えた教え子であり、恋心を抱いた女であり、故郷に住む人みんなのことも懐かしいのだ。
 そして、故郷の村の人々と、都会で知り合った人々との間には越えることのできない壁があるように感じる。

石川啄木『一握の砂』「煙」 より

千代治等(ら)も長(ちやう)じて恋し
子を挙げぬ
わが旅にしてなせしごとくに


<私が考えた意味>
幼馴染の千代治たちのことが、大人になった今、懐かしい。

千代治も嫁さんをもらって、子をつくったという。
私が、村から都会へ出て、旅人のように暮らしながら結婚し子どもができたように。

※「わが旅にしてなせしごとくに」の意味がわからない。故郷を出てからの暮らしを「旅」と表現しているのであれば、上のような意味になると思う。

石川啄木『一握の砂』「煙」 より

小学の首席を我と争ひし
友のいとなむ
木賃宿かな


<私の想像を加えた歌の意味>
小学校で、私と成績の一番を争った友がいた。
今晩泊まる木賃宿は、その友が営んでいる宿だ。
なつかしいような、また、友の才能がもったにないような、いろいろな気持ちが交錯する。

石川啄木『一握の砂』「煙」 より

かの村の登記所に来て
肺病(や)みて
間もなく死にし男もありき

<私が考えた歌の意味>
あの村の登記所に久しぶりに新しい人が赴任してきた。
赴任してきたが、村に来て勤め始めて間もなく、肺病で亡くなってしまった。
そういう人のことを思い出す。

<私の想像を加えた歌の意味>
故郷の村の近くの村に登記所がある。
その登記所に赴任してきて、間もなく肺病を患って亡くなってしまった男がいた。
故郷の村々では、そのことが話題となり、しばらくの間はその話で持ち切りだった。
故郷をなつかしく思う時にそんなことも思い出す。

<歌の感想>
 故郷のエピソードを短歌にしているのであるが、興味深い内容だ。当時の登記所で働く人がどのような位置づけであったのか、詳しくは分からない。しかし、地元で家業を継ぐ人とは異質な職業であったことは推測できる。
 「村医」にしても「登記所職員」にしても、中央と繋がりをもち、村の域を超えて行動できる職種の人だったと思う。そして、そういう人は、尊敬もされるが、地元に完全に溶け込むのは難しいことだったと思う。そういう村の人々の意識が、この短歌からも伝わってくる。

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