万葉集のかたわらにキーボード

記事は、原文に忠実な現代語訳や学問的な解釈ではありません。 私なりにとらえた歌の意味や、歌から思い浮かぶことを書いています。

石川啄木『一握の砂』「我を愛する歌」 より

顔あかめ怒りしことが
あくる日は
さほどにもなきをさびしがるかな


<私の想像を加えた歌の意味>
顔を真っ赤にして怒ったことが、次の日になると、それほどのことではなかったと思える。
怒りが中途半端に消えてしまった。
怒りが治まってしまう自分がなんとなくさびしい。

<歌の感想>
 啄木にとっては、怒りは大切にしたい感情なのだろう。純粋な怒りに身を任せることができなくなるさびしさが描かれている。怒りや悲しさを負のものととらえないところがおもしろい。激しく怒ることは、相当なエネルギーを必要とすることを改めて思う。

石川啄木『一握の砂』「我を愛する歌」 より

庭石に
はたと時計をなげうてる
昔のわれの怒りいとしも

<私の想像を加えた歌の意味>
怒りにまかせて時計を庭石に、はたと投げつけた。
昔の私は純粋な怒りを抑えることができなかった。
今の私はどうだろう。
怒りのあまり時計を庭石に投げつけるようなことはしない。
昔の私に戻りたい。

万葉集 巻二 155 山科の御陵から人々が退散する時に、額田王が作った歌一首

やすみしし わご大君の 恐きや 御陵仕ふる
やすみしし わごおおきみの かしこきや みはかつこうる

山科の 鏡の山に 夜はも 夜のことごと
やましなの かがみのやまに よるはも よのことごと

昼はも 日のことごと 音のみを 泣きつつありてや
ひるはも ひのことごと ねのみを なきつつありてや

ももしきの 大宮人は 行き別れなむ
ももしきの おおみやびとは ゆきわかれなん

<私の想像を加えた歌の意味>
山科の鏡の山に大君の御陵が造営されています。
造営されたばかりの御陵では、大君に仕えた人々が昼夜を分かたずに悲しみ泣いています。
宮廷に仕えたその人々もいつまでも御陵にいるわけにはいきません。
今は集まって悲しみにくれている人々もそれぞれ散り散りになっていくのでしょう。

万葉集 巻二 154 石川夫人の歌一首

楽浪の 大山守は 誰がためか 山に標結ふ 君もあらなくに
ささなみの おおやまもりは たがためか やまにしめゆう きみもあらなくに

<私の想像を加えた歌の意味>
大君がお元気だったころは、大山の番人は時期が来ると大君のために山にしめ縄を張っていました。
その時期になったので、山の番人は山にしめ縄を張っています。
大君が亡くなられた今となっては、誰のためにしめ縄を張っているのでしょうか。
むなしい気がいたします。

与謝野晶子 『みだれ髪』 臙脂紫 より

雲ぞ青く来し夏姫(なつひめ)が朝の黒髪梳くごとし水に流れる青空の雲

<私が考えた歌の意味>
青空に浮かぶ雲が水に映って流れていく。
まるで夏の精霊が朝に黒髪を梳いているよう。
夏の白い雲が青々と空を水を流れていく。

<歌の感想>
 晶子の歌を何首か読んでいないと、この比喩表現は分かりづらい。でも、「夏姫」という表現などに慣れると、一般的な比喩表現とは違うものを感じる。「黒髪」と「青空の雲」は、普通に考えると矛盾するのだが、そういうことを超越した感覚表現として成立している。初夏の爽やかさや雄大な風景というよりは、艶やかで濃い色合いの夏を感じる。
 晶子にかかると、夏の青空も艶めいたものになるから不思議だ。

与謝野晶子 『みだれ髪』 臙脂紫 より

とき髪に室(むろ)むつまじき百合のかをり消えをあやぶむ夜の淡紅色(ときいろ)よ

<私の想像を加えた歌の意味>
今宵は、色で表せば淡紅色です。
寝室で解いた私の髪に百合の香りが移ります。
あなととむつまじく過ごした夜の百合の香りが消えてしまいそうです。
愛し合っているのに、その幸せが消えそうな気もする今宵は、やはり淡紅色を感じます。

万葉集 巻二 153 大后(たいこう)の御歌一首

いさなとり 近江の海を 沖離けて 漕ぎ来る船
いさなとり おうみのうみを おきさけて こぎくるふね

辺つきて 漕ぎ来る船 沖つ櫂 いたくなはねそ
へつきて こぎくるふね おきつかい いたくなはねそ

辺つ櫂 いたくなはねそ 若草の 夫の 思ふ鳥立つ
へつかい いたくなはねそ わかくさの つまの おもうとりたつ 

<私の想像を加えた歌の意味>
近江の海には、沖を漕ぐ船、岸辺を漕ぐ船、さまざまな船が見える。
どの船も櫂で水面を強くはねないでください。
夫の君が大好きだった水鳥が驚いて飛び立ってしまわないように。

<歌の感想>
 天皇の崩御に際しての長歌と短歌の中の一首という位置づけの中の作品である。そのような作品群の中の一首として味わうと、近江の海の風景から生前の天皇の人柄を想起している作者の様子が浮かんで来る。

石川啄木『一握の砂』「我を愛する歌」 より

放たれし女のごときかなしみを
よわき男も
この日今知る

<私の想像を加えた歌の意味>
稼ぐ手立ても助けてくれる人もいない女が家から出された。
そんな女のかなしみを、よわい男も感じている。
この日の今、私は、心細く頼りないかなしみを突きつけられている。

<歌の感想>
 今の時代では、当てはまらない面もある比喩表現だ。この作品の中心ではないが、当時の社会で、女性が独りで生きていくことの困難さを感じる。

石川啄木『一握の砂』「我を愛する歌」 より

盗むてふことさへ悪(あ)しと思ひえぬ
心はかなし
かくれ家もなし

<私の想像を加えた歌の意味>
人の物を盗むことはどんな場合も悪いことだと信じてきた。
それなのに、盗みをはたらくことさえも悪いことだと自信をもって思えなくなった。
そんな荒んだ心がかなしい。
そんな私が隠れることのできる隠れ家もない。

万葉集 巻二 151 152 天皇を殯宮にお移しした時の歌二首

151 額田王
かからむと かねて知りせば 大御舟 泊てし泊りに 標結はましを
かからんと かねてしりせば おおみふね はてしとまりに しめゆわましを

<私の想像を加えた歌の意味>
大君がこのように早くお亡くなりになるなんて考えてもみませんでした。
このことが分かっていましたなら、大君がお好きだった船旅の港ごとにしめ縄を張っておきましたものを。
災いや病を退散させるというしめ縄を。

152 舎人吉年(とねりよしとし)
やすみしし わご大君の 大御船 待ちか恋ふらむ 志賀の唐崎
やすみしし わごおおきみの おおみふね まちかこうらん しがのからさき

<私の想像を加えた歌の意味>
お元気だった時には、たびたびお船で志賀に行幸された大君でした。
お亡くなりになられた今でも、志賀の唐崎は大君のお船を待っていることでしょう。

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