万葉集のかたわらにキーボード

記事は、原文に忠実な現代語訳や学問的な解釈ではありません。 私なりにとらえた歌の意味や、歌から思い浮かぶことを書いています。

石川啄木『一握の砂』「煙」 より

学校の図書庫(としょぐら)の裏の秋の草
黄なる花さきき
今も名知らず

<私が考えた歌の意味>
学校の図書館の裏の草は秋になると黄色の花をつけていた。
図書館の行き帰りに目にしたあの花を今でも思い出す。
あの花の名はなんというのだろうか、いまだにわからない。

<歌の感想>
 日陰に咲く野草の花が思い浮かぶ。「図書庫」は、現代の学校図書館のように明るく開放的ではないだろう。「黄なる花」も手入れされた花壇に咲く花のように派手ではないだろう。でも、その花の黄は、少年のころの啄木の目に焼き付いて、何度も思い出す光景になっている。

与謝野晶子 『みだれ髪』 臙脂紫 より

悔いますなおさへし袖に折れし剣(つるぎ)つひの理想(おもひ)の花に棘あらじ

<私が考えた歌の意味>
押さえた袖には折れた剣が入っていますね。
剣が折れたことを後悔しないでください。
最終の理想の花には、棘はありません。
剣で戦うことなど理想ではありません。

<私の想像を加えた歌の意味>
剣の力はいりません。
論争に敗れたことを後悔することなど無用ですよ。
だって、戦って相手を打ち負かすことは理想ではありませんから。
高貴な花には、棘はありませんから。

<歌の感想>
 相変わらず、晶子の歌の意味は分からない。こういう意味を込めているのであろうか。自信がない。
 チョコレート語訳 みだれ髪 俵万智は、次のように訳している。
「君の剣折れたことなど悔いますな我らの理想の花に棘なし」

与謝野晶子 『みだれ髪』 臙脂紫 より

誰ぞ夕(ゆふべ)ひがし生駒(いこま)の山の上のまよひの雲にこの子うらなへ

<私が考えた歌の意味>
この子の将来を占ってくれる人、誰かいませんか。
ひがし生駒の山が暮れていきます。
夕空の山の上に、雲が乱れて動いていきます。
雲のどれかでいいのです。
この子の将来を占ってください。

<私の想像を加えた歌の意味>
ひがし生駒の山の上を、雲が乱れて流れます。
夕空に浮く雲は、次々に形を変えながら動いていきます。
乱れ流れる雲よ、私の恋が成就するかどうか、教えてください。

<歌の感想>
 晶子の思いの強さを感じる。夕方の山の上の乱れ雲の情景を見て、この発想ができるのはいかにも晶子だ。だからこそ、「この子」は晶子であり、うらなうのは恋の行方と受け取れる。

万葉集 巻二 203 但馬皇女(たじまのひめみこ)が亡くなった後、穂積皇子(ほづみのみこ)が、雪の降る冬の日、皇女の御墓を遥かに見やって悲しみ、涙を流して作られた歌一首

降る雪は あはにな降りそ 吉隠の 猪養の岡の 寒からまくに
ふるゆきは あわになふりそ よなばりの いかいのおかの さむからまくに

<私が考えた歌の意味>
雪よ、たくさん降らないでください。
たくさんに降れば、吉隠の猪養の岡のお墓が寒いでしょうから。

<私の想像を加えた歌の意味>
雪が降っています。
この雪は、皇女のお墓のある吉隠の猪養の岡にも降っているでしょう。
雪がたくさん降れば、お墓にも雪が積もります。
お墓の辺りでは、雪よ、たくさん降らないでください。
亡き人に寒い思いをさせたくありません。

<歌の感想>
 死者を恋しく思う気持ちが、率直に伝わってくる。

万葉集 巻二 202 ある書の反歌一首

泣沢の 神社に御酒据ゑ 祈れども 我が大君は 高日知らしぬ
なきさわの もりにみわすえ いのれども わがおおきみは たかひしらしぬ

<私が考えた歌の意味>
泣沢の神社にお酒を供えて、御病気が治るようにお祈りいたしました。
祈りは通ぜず、我が大君は天を治めに、天にお昇りになられました。

<歌の感想>2
 200、201と比べると、短歌作品として含んでいるものに、格段の違いを感じる。
 人麻呂の作のような広がりはないが、この短歌も当時の人々にとっては、十分に意味をもつ作であったと思う。現代では実感できないが、この祈りは特別な重みを持ったものであったろうし、結句からも皇子の存在がどれほど尊いものであったかを想像できる。

万葉集 巻二 201 高市皇子尊(たけちのみこのみこと)の城上(きのえ)の殯宮(ひんきゅう)の時に、柿本朝臣人麻呂が作った歌一首と短歌(199~201)
埴安の 池の堤の 隠り沼の 行くへを知らに 舎人は惑ふ
はにやすの いけのつつみの こもりぬの いくえをしらに とねりはまどう

<私が考えた歌の意味>
埴安の池の堤には淀んだ沼がある。
その沼の水がどこへも行けないように、舎人たちはどうしてよいかわからないでいる。

<私の想像を加えた歌の意味>
亡き皇子の御殿の池の堤には、水の流れ口のない沼が残っている。
皇子に仕えていた舎人達は、これから何をして、どこへ行けばよいのか、わからないでいる。
まるで、閉ざされた沼の淀んだ水のように。

<歌の感想>
 亡き皇子にゆかりのあるものは、すべて亡き人を思い出すきっかけになったのであろう。そうではあるが、流れ口のない沼と頼るべき指導者を喪った従者たちの様子を滑らかに結び付けているのには驚きを感じる。

万葉集 巻二 200 高市皇子尊(たけちのみこのみこと)の城上(きのえ)の殯宮(ひんきゅう)の時に、柿本朝臣人麻呂が作った歌一首と短歌(199~201)

ひさかたの 天知らしぬる 君故に 日月も知らず 恋い渡るかも
ひさかたの あめしらしぬる きみゆえに ひつきもしらず こいわたるかも

<私の想像を加えた歌の意味>
我が皇子は天にお昇りになられた。
生きておられた時は、そのお姿、お振舞い、すべてが御立派であった。
天にお昇りになられて、ますます我が君を尊敬申し上げる気持ちが高まります。
月日がどんなに過ぎ行こうと、変わることなく我が君をお慕い続けます。

<歌の感想>
 常套的な表現のようでいて、「日月も知らず」には人麻呂独特の未来への時間の意識を感じる。
 人麻呂がこのように詠んだことによって、高市皇子は、現代でもその姿を生き生きと浮かび上がらせる。
 今を生きる私が、万葉の皇子の偉業を偲ぶことができるのは、『万葉集』、そして、柿本人麻呂の歌があるからだと思う。

万葉集 巻二 199 高市皇子尊(たけちのみこのみこと)の城上(きのえ)の殯宮(ひんきゅう)の時に、柿本朝臣人麻呂が作った歌一首と短歌
※長歌全体を四段に区切って考えた。区切り方は、新日本古典文学大系 萬葉集 岩波書店によった。
※第四段
然れども 我が大君の 万代と 思ほしめして
しかれども わがおおきみの よろずよと おもおしめして

作らしし 香具山の宮 万代に 過ぎむと思へや
つくらしし かぐやまのみや よろずよに すぎんとおもえや

天のごと 振り放け見つつ 玉だすき かけて偲はむ
あめのごと ふりさけみつつ たまだすき かけてしのわん

恐くありとも
かしこくありとも

<私の想像を加えた歌の意味>
わが高市皇子がお造りになられた香具山の宮は、永遠になくならないと思われる。
これからも香具山の宮を仰ぎ見て、いつまでも高市皇子を偲ぶことだろう。

<歌の感想>※199の長歌全体
 一句一句に沿って意味をとっていくと、うまくつながらない所がある。歌の意味というよりも、要点を押さえるつもりで考えた。
 口語訳を参考に、要点を押さえて、原文を音読すると、天武天皇と高市皇子の二人の指導者の姿が浮かび上がってくる。韻文でありながら、歴史と歴史上の人物の偉業が表現されている。
 なぜ、このような表現が可能であったのかはわからないが、スケールの大きさと指導者の崇高な死を描くことができているのは確かだと思う。

万葉集 巻二 199 高市皇子尊(たけちのみこのみこと)の城上(きのえ)の殯宮(ひんきゅう)の時に、柿本朝臣人麻呂が作った歌一首と短歌
※長歌全体を四段に区切って考えた。区切り方は、新日本古典文学大系 萬葉集 岩波書店によった。
※第三段
木綿花の 栄ゆる時に 我が大君 皇子御門を
ゆうはなの さかゆるときに わがおおきみ みこのみかどを

神宮に 装ひまつりて 使はしし 御門の人も
かんみやに よそいまつりて つかわしし みかどのひとも

白たへの 麻衣着て 埴安の 御門の原に
しろたえの あさごろもきて はにやすの みかどのはらに

あかねさす 日のことごと 鹿じもの い這ひ伏しつつ
あかねさす ひのことごと ししじもの いはいふしつつ

ぬばたまの 夕に至れば 大殿を 振り放け見つつ
ぬばたまの ゆうへにいたれば おおとのを ふりさけみつつ

鶉なす い這ひもとほり 侍へど 侍ひ得ねば
うずらなす いはいもとおり さもらえど さもらいえねば

春鳥の さまよひぬれば 嘆きも いまだ過ぎぬに
はるとりの さまよいぬれば なげきも いまだすぎぬに

思ひも いまだ尽きねば 言さへく 百済の原ゆ
おもいも いまだつきねば ことさえく くだらのはらゆ

神葬り 葬りいませて あさもよし 城上の宮を
かんはぶり はぶりいませて あさもよし きのえのみやを

常宮と 高くしたてて 神ながら 鎮まりましぬ
とこみやと たかくしたてて かんながら しずまりましぬ

<私の想像を加えた歌の意味>※第三段
めでたく栄えていた、その高市皇子が亡くなられた。
従者たちは昼夜を問わず、嘆き悲しむ。
悲しみも憂いもまだ消えないが、亡き皇子は城上の宮に葬られた。

万葉集 巻二 199 高市皇子尊(たけちのみこのみこと)の城上(きのえ)の殯宮(ひんきゅう)の時に、柿本朝臣人麻呂が作った歌一首と短歌
※長歌全体を四段に区切って考えた。区切り方は、新日本古典文学大系 萬葉集 岩波書店によった。
※第二段
やすみしし 我が大君の 聞こしめす 背面の国の
やすみしし わがおおきみの きこしめす そとものくにの

真木立つ 不破山越えて 高麗剣 和射見が原の
まきたつ ふわやまこえて こまつるぎ わざみがはらの

行宮に 天降りいまして 天の下 治めたまひて
かりみやに あもりいまして あめのした おさめたまいて

食す国を 定めたまふと 鶏が鳴く 東の国の
おすくにを さだめたもうと とりがなく あずまのくにの

御軍土を 召したまひて ちはやぶる 人を和せと
みいくさを めしたまいて ちはやぶる ひとをやわせと

まつろはぬ 国を治めと 皇子ながら 任けたまへば
まつろわぬ くにをおさめと みこながら まけたまえば

大御身に 太刀取り佩かし 大御手に 弓取り持たし
おおみてに たちとりはかし おおみてに ゆみとりもたし

御軍土を 率ひたまひ 整ふる 鼓の音は
みいくさを あどもひたまい ととのうる つづみのおとは

雷の 声と聞くまで 吹き鳴せる 小角の音も
いかずちの こえときくまで ふきなせる くだのおとも

あたみたる 虎か吼ゆると 諸人の おびゆるまでに
あたみたる とらかほゆると もろひとの おびゆるまでに 

ささげたる 旗のまねきは 冬ごもり 春さり来れば
ささげたる 旗のまねきは ふゆごもり はるさりくれば

野ごとに 付きてある火の 風のむた なびかふごとく
のごとに つきてあるひの かぜのむた なびこうごとく

取り持てる 弓弭の騒き み雪降る 冬の林に
とりもてる ゆはずのさわき みゆきふる ふゆのはやしに

つむじかも い巻き渡ると 思ふまで 聞きの恐く
つむじかも いまきわたると おもうまで ききのかしこく

引き放つ 矢の繁けく 大雪の 乱れて来れ 
ひきはなつ やのしげけく おおゆきの みだれてきたれ 

まつろわず 立ち向かひしも 露霜の 消なば消ぬべく 
まつろわず たちむかいしも つゆしもの けなばけぬべく 

行く鳥の 争ふはしに 渡会の 斎宮ゆ 
ゆくとりの あらそうはしに わたらいの いつきのみやゆ

神風に い吹き惑はし 天雲を 日の目も見せず
かんかぜに いふきまどわし あまぐもを ひのめもみせず

常闇に 覆ひたまひて 定めてし 瑞穂の国を
とこやみに おおいたまいて さだめてし みずほのくにを

神ながら 太敷きまして やすみしし 我が大君の
かんながら ふとしきまして やすみしし わがおおきみの

天の下 奏したまへば 万代に 然しもあらむと
あめのした もうしたまえば よろずよに しかしもあらんと

<私の想像を加えた歌の意味>※第二段
天武天皇は、高市皇子に、まだ従わない国を治めよと命じられた。
高市皇子は、自ら太刀を身につけ、弓を持たれて、軍勢に号令される。
その軍勢の太鼓の音は雷鳴のごとく、角笛の音は虎の咆哮のごとく、敵を怯えさせる。
その軍勢の掲げる旗は春の野火のごとく、弓の唸りは冬のつむじ風のごとく、放つ矢は大雪のごとく、敵を攻める。
敵も命を惜しまず刃向かうが、神風が吹き渡り、ついに高市皇子の率いる軍勢が、敵を打ち負かした。

↑このページのトップヘ