万葉集のかたわらにキーボード

記事は、原文に忠実な現代語訳や学問的な解釈ではありません。 私なりにとらえた歌の意味や、歌から思い浮かぶことを書いています。

年ごとに肺病やみの殖えてゆく
村に迎へし
若き医者かな


<歌の意味>
村では肺病に罹る人が年々ふえる。
そんな村に若い医師が着任する。
喜ぶべきところだが、今まで村に来た若い医師の大半は、長続きしないで、やめてしまった。
それも無理のないことだ。
村の現状を考えてしまう。

酒のめば
刀をぬきて妻を逐ふ教師もありき
村を逐はれき


<歌の意味>
普段は真面目な人なのに、深酒をすると刀を抜いて妻を追いかけたりする教師がいた。
酒の上での失敗を、はじめのうちは本人も反省し、村人も許したが、度重なって、その村には、いられなくなった。

我ゆきて手をとれば
泣きてしづまりき
酔いて荒れしそのかみの友


<歌の意味>
私が行って手をとって、話を聴くと、酔って暴れていた友が静かになった。
私が行く前は誰がどう言い聞かせても、叱りつけても、聞き分けなかった。
普段から私と二人になると、読書の話やらで、静かに過ごす彼だった。
彼には普段は見せない顔がある。

我が従兄(いとこ)
野山の猟(かり)に飽きし後(のち)
酒のみ家(いえ)売り病みて死にしかな


<歌から思うこと>
地方で一時的な金を手に入れた人の典型的な姿であっただろう。
啄木の眼が、地方と中央の経済の違いに及んでいるのは、類似の作品からも明らかだ。
また、身近な人物を登場させる効果も歌に力を与えている。

小心(せふしん)の役場の書記の気の
狂れし噂に立てる
ふるさとの秋

                                                     <歌に思うこと>         
日常のできごとと、自然の変化を取り上げて、季節感を描いている。
その日常のできごとの中に、職場の心の問題が含まれている。

宗次郎(そうじろう)に
おかねが泣きて口説(くど)き居り
大根の花白きゆふぐれ


<歌の意味>
宗次郎に妻のおかねが長々と話し込んでいるのが、見える。
おかねは泣きながら話している。
話の中身は、義理の母(しゅうとめ)への苦情が中心だろう。
この二人から目を移すと、夕暮れの畑には大根の白い花が咲いている。

<歌から思うこと>
おかねの口説きは毎回同じような中身だ。
宗次郎もしかたなく聞いている。

大根の花は地味だがあらためて見ると、すがすがしい。
大根の花はもう収穫されなくなったものだ。

咲かなくて、役に立つのが大根の花。
おかねの口説きも実際の役には立たないだろう。
村の夕暮れのひとこまが浮かぶ。

264
柿本朝臣人麻呂が近江の国から上って来た時に、宇治川の辺りまで来て作った一首

もののふの 八十宇治川の 網代木に いさよふ波の 行くへ知らずも
もののうの やそうじがわの あじろぎに いさようなみの いくえしらずも

<歌の意味>
宇治川の下流に川魚を捕る網がたくさん仕掛けられている。
その網を支える杭に邪魔されて流れが滞っているのが見える。
川波は、自分がどこへ行けばいいのかわからなくなっているのだ。

<感想>
 作者は、宇治川の急な流れでも穏やかな流れでもなく、流れが悪くなり溜まっている所を描いている。
 そこに人麻呂の独特の感覚を感じる。勢いのよい流れでも堂々とゆったりとした流れでもなく、滞り、淀んでしまいそうな流れなのであろう。朽ちていくものの美しさとでも言えばよいのか。
 作者は川の立場に立ち、流れねばならないのにどちらへ向かえばいいのかわからないと、表現している。

肺を病む
極道地主(ごくどうじぬし)の総領の
よめとりの日の春の雷(らい)かな


<歌の意味>
肺病に罹っている上に、男は遊んでばかりの乱れた生活をしている。
そんな生活ができるのもこの男が、地主の長男息子だからだろう。
その男が、今度は嫁をもらうという。
今日は春ののどかな日だ。
その今日が、地主の長男の結婚の日のようだ。
のどかな春の日なのに、雷の音が遠くから聞こえる。

意地悪の大工の子なども悲しかり
戦(いくさ)に出でしが
生きてかへらず


<思い浮かぶ作者の気持ち>
村の大工の息子は、意地悪で私もずいぶんといじめられた。
その子は、大人になって徴兵されて、戦争に行った。
そして、戦死してしまった。
周囲では戦死は名誉なことだというが、元気で村を出て、あっけなく死んでしまうとは、なんとも言えない気持ちだ。

<感じること>
戦死を「悲しかり」と表現するのは、憚れることだったと思う。
また、このように徴集されて、戦死した若者が、この田舎の人の少ない村で一人や二人ではなかったことへの思いも感じられる。

その名さへ忘られし頃
飄然とふるさとに来て
咳をせし男


<短歌から思い浮かぶこと>
 「咳をせし男」は、ふるさとを嫌っていた。自分から「ふるさと」を捨てて、何十年という月日をふるさとへ戻ることはなかった。
 そして、突然にこの男は、姿を見せた。もちろん、喜び勇んで戻ってきた様子はない。また、渋々何かの用のために戻って来たのでもなさそうだ。
 ただ、何事もなかったように、まるで昨日まで、ここにいたかのようにうれしくも悲しくもない表情で現れた。
 しかし、作者は敏感に感じ取った。この男が病か、何かで、弱ってしまい、がまんしきれなくなって懐かしいふるさとへ帰ってきたであろうことを。

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